見出し画像

ブラックランチボックス|千早茜「こりずに わるい食べもの」第16話

 最近、弁当を作っている。週に二、三回ほど、作りたいときにしか作らず、誰かのための義務になっているわけでもないので、楽しい。玉子焼きやきんぴら牛蒡ごぼう、蓮根のはさみ焼き、ささみの梅しそ巻き、明太しらたきといった、全体的に茶色い、酒のつまみめいた惣菜を弁当箱に詰めている。

 とはいえ、出勤しているわけではないので、朝に作った弁当は家で食べている。家で食べられるなら弁当の形式にしなくてもいいのではないか、と思われそうだが、背後にまるまるとふくらんだ風呂敷包みが鎮座していれば、「おし! 弁当が待っている、がんばるぞ」と仕事に集中できるし間食も減る。仕事しながら「昼ごはん、なにを食べよう」「外にランチに行くなら混まない時間にしなきゃ」などと気を散らさなくてもいい。弁当というイベント感を取り込むことで午前と午後のめりはりがでる。

 しかし、私はずっと弁当が苦手だった。種類の違う食べものがくっつきあって匂いや味が混ざるのが嫌なのだ。ちらし寿司とか牛丼とかオムライスとか、混ざることが想定された味がひたすら続く弁当が平和でいい。
 小さい頃は特に潔癖で、ひじきの汁が浸みて玉子焼きが黒ずんでいるのを見ただけで一口も食べられなくなった。漬物の色がついた米も無理だった。今でも幕の内など品数の多いものは得意ではない。一度、京都の結構お高い料亭の懐石弁当を奮発して買ったら、デザートにということなのか小さな桜餅が入っていた。しかし、同じ容器内である。甘い道明寺餅が鴨の脂の匂いにしっかり染まっていて、しばし頭を抱えた。

 海苔弁ならひたすら同じ味が続くからいいのではないかと思われるかもしれないが、「パリッとうまい海苔をなぜわざわざふやかす!」と嫌厭けんえんしていた。おにぎりの海苔ですら「握っただけの飯で結構。なんなら海苔は別添えで持参いたす」と頑固爺ぶりを発揮してきたが、「移動飯」(『しつこく わるい食べもの』収録)で書いた「刷毛はけじょうゆ 海苔弁山登り」に出会ってからはすっかりふやけた海苔のとりこになってしまった。醤油と海苔で黒々と汚れたご飯も背徳感があっていい。
 というわけで、焼鮭をのせた海苔弁も作った。米と米との間には、海苔と共に愛する京都の「小松こんぶ」も挟んだので大変に風味豊かな海苔弁になった。海苔が良い塩梅で米の水気を吸ってくれるので、いつもより米がきりりと締まっている。

 そんな感じで気ままな弁当生活を楽しんでいたが、なにか忘れているような気がしてならなかった。弁当箱の蓋をするときに一抹の不安がよぎるのだ。首の後ろの辺りがぞわっとする。なんだろう、と思いながら日が経った。
 ある日、新大久保の韓国茶カフェに行った。雑居ビルの、四人乗ればぎゅうぎゅうの古いエレベーターは、身の危険を感じるほどに昇降が遅かった。目的の階のひとつ前で扉が開いた。その途端、むわっと匂いが押し寄せてきた。魚介の生臭さ、にんにく、酒、なにかがぐつぐつと煮える湯気、それらが人の熱気とごたまぜになってあふれている。うおっとなりエレベーターの閉じるボタンを連打した。ゆったり茶を飲みたいときに嗅ぎたい匂いではなかった。
 そのとき、思いだした。封印していた暗黒の記憶を。 

 私が弁当を嫌いだった一番の理由は匂いだった。プラスチックの弁当箱に付着した、いつのものかわからない食べものの匂い。授業中に風呂敷包みからもれてくる匂い。なにより、食べ終えた弁当箱を家に持ち帰り、洗うために開けるときの匂いが嫌だった。米粒ひとつないときでも弁当箱は臭った。夏場は特に蒸れた臭いがした。腐敗の一歩前、食べものが劣化し、かすかな酸味を帯び、見えない微生物の発生を感じさせるなまなましい臭い。あれを嗅ぐと、弁当を食べた我が身が心配になった。そして、この弁当箱にまた食べものを詰めても大丈夫なのかと胃が重くなった。

  弁当箱を洗うと食欲がなくなった。故に、夕食が帰宅してすぐのときは、食後に洗いものをする母親の手元に弁当箱をすべり込ませた。「自分で洗いなさい」と母親に叱られた。もっともだ。流しが空くのを待っていると、寝たりテレビに夢中になったりして弁当箱のことを度々忘れた。 
 中学生のときのことだ。弁当箱を洗わずに寝てしまったことがあった。母は私を起こさず、次の日は違う弁当箱に詰めてくれた。昼食の時間になって、ようやく私は前日の弁当箱を洗っていないことに気がついた。ぎょっとして鞄や机の中を探す。見つからない。家に帰ってみると、前日の弁当箱はベッドの下に転がっていた。暖かい季節だった。好き嫌いの多かった私はおかずをいくつか残していた。絶対に腐っている、と思った。酸っぱい臭いを想像するだけで腰がひけた。夕食後に洗おうと逃げ、そしてまた私は忘れた。

 数日経った。弁当箱の中はカビだらけだろうと思うと、もう怖くて開けられなくなった。私はベッドの奥深くに開けずの弁当箱を押し込み、その存在を忘れようと努めた。しかし、今度は忘れられなかった。母親に「あのお弁当箱どうしたの?」と訊かれやしないか、ベッドの下で爆発したり汁がでてきやしないか。ベッドの下の暗がりを度々覗いたが、弁当箱はしんと静かだった。その静けさも恐ろしかった。
 眠れぬ夜、弁当箱の中でなにが起こっているか考えた。科学雑誌で読んだNASAの循環型の水槽を思いだした。小さな海老と水草と水で半永久的に生態系が循環し続けるというガラスの球体。あんな感じで、弁当箱の中で閉じた完全な世界ができないだろうか。いや、でも水槽は光合成のために太陽の光が必要だった。しかし、菌類など光のない世界で生きるものもいる。自分の体の下で小さな宇宙が営まれてると信じ、弁当箱を放置している罪悪感を減らそうとした。 
 寝ても覚めても、部活をしていても、友人と笑っていても、食事をしていても、開けずの弁当箱が頭の中にぽっかり黒い空洞を作っていた。死体を隠し続けている犯罪者の気分だった。 

 結局、あの弁当箱はどうなったのか。大掃除なり引っ越しなりで見つかったはずだが、覚えていない。母親に訊かれても「なくした」「わからない」と言い張っていたので、こっそり捨てたのかもしれない。最近まで忘れていたほどだ。あまりに恥ずかしく、記憶を抹消しようとしたのだろう。 
 開けた記憶だけは確かにない。あれを開ける勇気はいまの私でもないので、弁当は食べ終えたらものすごい速さで洗っている。現在、弁当を楽しめているのは、自宅仕事で、すぐに洗える環境にあるからなのだった。弁当を持ってどこかへ繰りだす勇気はまだない。

illustration 北澤平祐

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

更新のお知らせや最新情報はTwitterで発信しています。ぜひフォローしてください!