第3話 由紀子とカバパン先生 宇野常寛「チーム・オルタナティブの冒険」
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第3話 由紀子とカバパン先生 宇野常寛「チーム・オルタナティブの冒険」

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その夏、「僕」はある地方都市に暮らす高校生だった。
愛すべき仲間たちとの変わり映えのない、退屈な、しかし心地よい閉じた楽園が、ある事件をきっかけにゆるやかに崩れていく。
「これは想像力の必要な仕事だ」──それは、世界を変える魔法の呪文。冒険のはじまりを告げる、狼煙のような言葉。
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 カバパンこと樺山優児が僕たちの学校に着任したのは僕たちが2年生に進級した、つまり由紀子が転校してきたのと同じ4月のことだった。産休に入る国語教師の代替教員として現れた樺山は、たちまち学校中の話題を集めた。それは、一言でいうと、彼は教師らしくなかったからだ。もっといえば、変人だったからだ。

 樺山は国語の教師のはずなのに、なぜかいつも白衣を着ていた。 基本的に格好はだらしなくて、白衣の下はUNIQLOや無印良品のシャツと黒のデニムパンツで、少し底の厚いスニーカーを履いていた。本人はシリコンバレーの起業家のようなスマートでシンプルなスタイルのつもりだったのかもしれなかったけれど、ヨレヨレの白衣をその上にルビっていると単に身なりに無頓着な中年に足をかけた男性にしか見えなかったし、おそらく実際にそうだった。
 樺山は丸くて大きな、縁のないメガネをかけていたのだけど、実際にそこまで度がきつくないのかあるいは伊達メガネなのか、よくメガネを置き忘れたまま何時間も活動していた。話に夢中になるとメガネを外すくせがあり、何時間も気付いていなかったくせにメガネをしていないことを指摘されると、血相を変えて捜し回っていた。教室にメガネを忘れて他の教師の授業中に、慌てて取りに現れたことも何度かあった。
 あと、この教師はなぜかよく、小さな怪我をしていた。しょっちゅう、顔にすり傷を作っていたし、足を傷めて引きずって歩いていた。本人曰く、「俺は常に世界について深く考えながら歩いている。そのためによく、足元のものにつまずいて転ぶ。しかしそれは、世界の真実を探求する者の宿命なのだ」ということだった。
 午前中の授業には寝癖がついたまま現れたり、無精髭を剃らずにいたりすることも多く、たびたび女子生徒から指摘されていた。しかし、生徒や他の教師に何度注意されても、樺山のこうした行動は直らなかった。
 しかし恐るべきことに、樺山は自分のことを少しかっこいいと思っているらしく、こうした指摘を受けると「あれ、さっき直したはずだったんだけどなあ」とか「今朝は大事なことを考えていたんだよ」とか、あまり意味のない言い訳を口にしては授業を中断して教室を去った。そしてしばらく帰ってこなかった。おそらくトイレで鏡を見て整えにいっているのだと思われたが、髭のほうはともかく、戻ってきた彼の寝癖が直っていることのほうがまれだった。一言でいうと、だらしのない30代男性を絵に描いたような人だったのだけど、にもかかわらず、樺山の言動の節々に自分は人生に疲れた他の中年男性とは違い、若さを維持している魅力的で精力的な人間であるという意識が垣間見えた。
「俺はかつて、俳優の西島秀俊に憧れていた。彼の『俺、カッコいいのだけれど周りに女性がいないとダメなんだよ』というオーラを身に着けたくて仕方なかった。でも、あるときに気づいたんだ。俺は西島秀俊にはなれないんだって……。俺は彼のように、50歳近くになっても、筋トレを続けてムキムキの胸板を維持するようなストイックな生き方はできない。俺はずっと西島秀俊の背中を見て生きてきたけれど、自分でも気が付かない間にどこかで彼とは生き方のようなものが決定的にすれ違ってしまった。俺は世界に対して、鍛えて強い身体を維持することで立ち向かうんじゃなくて、もっと自然体に、調和的でありたいと思うんだ……」
 たとえばこの発言は、一見謙虚に西島秀俊への憧れを語っているようでいながら、よく考えるとなぜか自分と西島秀俊が同じ土俵の上に立っているという前提が存在していることが分かる。一体なぜ、樺山がこのような思い込みをしたままこの年齢に達してしまったのかはまったく想像がつかなかったが、このようにとにかく彼はあまり根拠の定かではないが極めて高い自己肯定感を備えていた。もっと簡単に言ってしまえば、ナルシストだった。
 しかし樺山は葉山先生が言っていたように話のうまい教師だった。と、いうよりもそもそも樺山は、まともに授業というものをしていなかった。教室ではいつも教卓の上に座って、まったく板書をしないくせに指示棒をぶんぶん振り回しながら話す癖があった。そしてその授業はほぼ雑談だった。
 樺山の授業はまず、教科書に載っている短編小説や随筆の類を、1ページか2ページ生徒に読み上げさせる。ここまでは普通の国語の授業と変わらなかった。しかし、樺山は生徒が読み上げたその文章の解釈を大抵の場合は一言で片付けてしまった。作者はおそらくこうした意図を持ってこう表現している。当時から現在まで、この作品はこう位置づけられている。そしてその後に必ずこう付け加えた。「だけど、自分はこう思う」と。その言葉遣いは平易で、教材を茶化して笑いを取るようなくだらないものも多かったが、何回に一度か引っかかるものがあった。そして、一度引っかかったあとは、その日はずっと樺山の言葉が頭の中を渦巻いていた。
 樺山は、こうして教科書に載っている文章に最低限の解説を加えたあとは、雑談しかしなかった。樺山は文章の中のある単語やフレーズに目を留めて、そこから連想して思い出したことを延々と話していった。
 話題はいつも他愛もないことだった。学食のカレーの具の少なさ、折り合いの悪い教頭に服装のことで注意されたことに対する愚痴、いま毎週楽しみにしている連続ドラマでヒロインがどちらの男性を選ぶのかの予想と、どちらを選ぶと彼女はより幸福になれるのかということについての個人的な見解……など、バラエティに富んでいた。
 こうした樺山の雑談の中でも、比較的印象に残っているのは彼の中学時代から大学時代までのエピソードだった。それは、どちらかと言えばぱっとしないグループの、でも無駄に熱量の高い若者たちの繰り広げるどうしようもない日常の物語だった。しかしそのどうしようもなさが、教室の笑いを常に誘っていた。そして僕は実のところ、そのどうしようもなさに、ちょっとした親近感を覚えていた。ノリのようなものが、自分たちの写真部のグループにとても近いように思えたからだ。大学時代の話も多く、友人の一人が先輩から8万円で買わされた廃車寸前の自動車で四国まで貧乏旅行に出た話、餃子チェーンの100円セールの日に下宿で餃子パーティを試みて、部屋中が餃子臭くなった話……など、どれも写真部の仲間たちとこういうことができたら、信じられないくらい楽しいだろうなと思える話だった。

 あと、樺山は生徒から話を聞き出すのが巧かった。樺山は毎回、チャイムが鳴ってから5分から10分くらい遅れて教室に現れた。教壇に立つと、ニタッと口元を歪ませて教室を見回した。そして必ず一人、目が合った生徒を選んで話しかけた。樺山に話しかけられた生徒は、最初は困惑するのだけれど、いつの間にか彼のペースに乗せられて、ベラベラと喋りだすことが多かった。特に好きなのが、生徒の恋愛話だった。この教師は妙に鋭いところがあって、生徒のちょっとした言動からその本音を引き出すのが魔法でも使っているかのように巧かった。
 たとえば、ある女子が樺山にこんな相談をしたことがある。生徒会の副会長の彼女は、テニス部のエースプレイヤーで次期部長候補のある男子と付き合っていた。要するに教室の人間関係の中心にいる学園のパワーカップルで、当然僕のような生徒とは生き方が決定的に異なっていて、かかわりのない存在だった。その彼女が樺山に彼氏と最近うまくいっていないと相談したのだ。僕は、この女子が自分の恋愛話を教室の全員と共有することにまったく疑いをもっていないことに驚き、この手の連中とは仲良くやれないなと改めて思ったものだった。

 彼女の相談は、最近彼がテニスの練習にばかり夢中で自分に構ってくれない。しかし彼は部活動の成績を手土産に大学の指定校推薦枠を狙っているので、あまり邪魔をしたくない。でも寂しい、という内容だった。そして樺山は一通り彼女の話を聞くと、あっさりこう結論づけた。お前はもう彼氏が自分を好きじゃないと気づいているのだけれど、それを認めたくないからあくまで部活動と恋愛の両立の問題なのだと自分に言い聞かせているだけだ、と。たぶん彼のほうはもうお前と別れるつもりで、冷静に振り返るとそれっぽい言動が思い当たるんじゃないか。一緒に見たいと言っていた映画に勝手に一人で行かれたりとか、以前から決まっていたデートに当日いきなり適当な理由がついて来なくなるとか……。こうして文字にしてみるととても冷たく感じるかもしれないが、樺山の狡猾なところはこうした発言を、適度に笑いを混ぜることで、あまり深刻に見せないところだった。その女子生徒は泣きじゃくっていたけれど、最後は笑っていたし、そして教室の雰囲気もまったく重たくなかった。むしろ彼女の恋愛話を共有したことで、奇妙な一体感が生まれていた。僕はその樺山のやり口が、気に食わなかった。
 また、あるときは自分に良くしてくれた部活動の先輩の女子にダメ元で告白したいという男子にこんなことを述べていた。彼は昨年の冬に一度告白していたが、大学生の彼氏がいることを理由に振られてしまった。しかし彼女は彼を部活の後輩として、年下の友達として仲良くし続けていて、その後も何度か二人で遊びに行ったこともあるという。そして先日、先輩が大学生の彼氏と別れたので、もう一度告白してみたいのだと。樺山はその話を聞くと深い溜め息をついて述べた。
「このケースは典型的な〈白雪姫と七人のこびとの法則〉に当てはまる」と。
〈白雪姫と七人のこびとの法則〉──それは樺山が学生時代に発見したという人類普遍の(と本人が主張する)法則なのだという。
「このままだとお前は白雪姫の物語に登場する七人のこびとの一人になる。白雪姫はこびとたちが自分のことを好きなのを知っているが、絶対に付き合わないと最初から決めている。一方、こびとのほうはそうは思っていない。王子と姫が別れたら、自分たちの中から一人が選ばれて、王子に昇格すると考えている。しかしそんなことは絶対にない。姫がこびとに優しくするのは、ちやほやされたいからであって、こびとを恋愛対象に見ているからではない。むしろ逆だ。姫はこびとを恋愛対象とみなしていないからこそ、冷静に、計算ずくで、都合のいい中距離にコントロールし続ける。実際に、その先輩はお前が告白するためにそれっぽい雰囲気を作ろうとすると、そのたびにそれとなくその場をつくろったり話題を変えたりしてきたはずだ。クリスマスは家族と過ごすと11月に入った途端にさり気なく伝えられたり、夜のデートだけは頑なに断ってきたりとか」
 ほとんど図星だったらしく、相談した男子生徒はそのことを認めたくなさそうにしながらも、樺山にじゃあどうしたらいいのかと続けて尋ねていた。教室の他の生徒たちは、樺山のたとえの面白さと分析の鋭さに舌を巻いてざわついていた。こうやって生徒の受けを取るのが樺山のやり口だった。けれど、僕は騙されなかった。僕はただ、この人も若い頃に痛い目にあっているんだろうなと思っただけだった。

  そして着任して1ヶ月も経たないうちに、この樺山という教師は2割の侮蔑と8割の親しみを込めて、生徒たちから「カバパン」と呼ばれるようになっていた。
 でも僕はこのカバパンのことを、どうしても好きになれなかった。それはまずは周囲の生徒たちが、同じ国語教師の葉山先生とカバパンとを比べていて、はっきり言えばカバパンのほうが人気があったからだ。僕はそれが、面白くなかった。もう一つは、その葉山先生がこのカバパンという教師に対して漏らしていたのと同じ違和感を、僕も覚えていたからだ。カバパンの話はたしかに面白かったが、彼は葉山先生と違ってこの学校という場とか、生徒にものを教えることとかに対して、まったく気持ちが入っていない。そう感じることが、ときどきあった。彼がまともに授業をしないのは、生徒に本当に良い学びを与えたいからではなくて、そもそもこうした教室で学べるものなんかに価値はない──そう考えているからではないか。カバパンは話が巧く、退屈はしなかったけれど、僕は話題の選び方から生徒に対する距離感も含めて、カバパンが自分は普通の教師とは違って、生徒の味方なのだというサインを出すことで好かれようとしているように思えた。
 この二つの理由から、僕はこのカバパンと呼ばれる教師にあまりよい感情を持っていなかった。しかし、そうも言っていられなくなった。そのカバパンがある日、僕たちの写真部の部室に現れたからだ。

 その日、部室に顔を出すと、いつもは僕が座っている椅子にカバパンが座っていた。教室以外で見かけるカバパンは(痩せぎすのくせに)いつも、なにか食べていた。このときはタブレットでなにかの本を読みながら、コンビニで売っている大粒のラムネ菓子をバリボリ食べていた。先に部室に来ていた連中が言うには、ついさっき突然この部室にやって来て「今日から俺がこの写真部の顧問だ」と宣言したということだった。
 それは実は不思議なことでもなんでもなかった。この写真部の顧問はカバパンの前任者──葉山先生の先輩にあたる、産休に入った国語教師──だったからだ。だからカバパンが顧問を引き継ぐのは考えてみれば当たり前のことというか、むしろ今まで顧問が誰もいない状態で放置されていたことのほうが少なくとも手続き的には問題のはずだった。これまで、特に問題にならなかったのはこの写真部がもともと開店休業状態にあり、そのことを誰も気にしていなかったからに違いなかった。この写真部に1年以上所属している僕たちすら、顧問の教師とまともに話したのは去年の文化祭で、形式的に行った作品展示会に使う暗幕を買うために、予算の6万円を受け取りに行ったときだけだった。彼女は産休に入るときに自分が顧問を務める写真部の僕らに一言声をかけることもせず、そしてその間の顧問のことを学校側も現役部員である僕たちも誰一人として話題にすらしなかった。したがって、問題はむしろカバパンがなぜ、3ヶ月も経ったいま、ここに突然、思い出したように顔を出したのかということだった。しかし、その疑問への回答は尋ねるまでもなくカバパン本人の口から語られた。
「今日から昼休みと放課後は俺、ここで仕事するから」
 とんでもない話だった。教師なんかに居座られたら、せっかく見つけた自由にできるたまり場が台無しだった。仲間たちが声を出さずにざわつき、キョロキョロと顔を見合わせた。さすがの藤川もこれには少し驚いたように目を見開いていた。
「はっきり言ってさ、俺、職員室で浮いているんだ。この学校の先生とあんまり話が合わなくて。もしかしたら嫌われているのかもしれない」
 かもしれない、じゃなくてそうに決まっていたが、もちろん僕は口には出さなかった。
「だから、基本的に授業がないときはここにいることにするから、よろしくな」
 よろしく、じゃないだろうと僕は思った。僕は藤川がどういうつもりなのかが気になって、ふと彼を見やった。他の仲間たちは突然部室に教師が現れて動揺していた。しかし藤川だけはいつの間にか落ち着きを取り戻し、ひょうひょうと構えていた。こういうときの藤川は状況を面白がって観察しているときだった。藤川がそう判断しているなら、と思って僕も様子を見ることにした。
「お前たちの言いたいことは想像がつく。俺の見たところ、写真部はここにいる2年生の6人の男子で実質的には全員だ。より正確に表現するのなら、お前たち6人が便宜的に写真部を名乗って部室と予算とを好きに使っている状態だ。だから、いきなり現れた顧問の教師に占拠されてしまってはいろいろと困る。そんなところだろう?」
 図星だった。本当は4月に数名、1年生が入部していたのだけれど、写真部の実態が僕らのグループのたまり場に過ぎないことを知ると、1ヶ月もせずに寄り付かなくなっていた。カバパンの推理は少し観察すれば分かることで、驚くほどのことではなかったけれど、このときは突然言われたので思わず舌を巻いていた。そしてそのことをラムネをかじりながら嬉しそうに語られると、なんだかものすごく腹が立った。
「しかしまあ、四六時中男同士でつるんでバカな話ばかりして、そのくせ周りの生徒や大人たちを見下して、本当にしょうもない連中だな」
 カバパンはなぜか、とても嬉しそうに言った。そしてこれみよがしに、深い溜め息をついて付け加えた。「俺も高校のときはそうだった」と。
 そして聞きもしないのにカバパンは語りはじめた。
「俺は、男子校の出身だ」
 僕はそうだろうな、と思ったけれどやはり突っ込まなかった。
「今のお前たちのように、いつも男子ばかり5、6人でつるんでいた。毎日しょうもないことばかりやっていたけれど、ものすごく楽しかった。でも、心の底では、この仲間たちに女子が一人か二人でも交じっていれば、それだけでどんなに楽しいだろうかと考えていた。考えていたけれど、口にできなかった。なぜならば口にしたところで、俺たちの学校には一人も女子なんかいなかったからだ。俺は高校の3年間、本当に母親と妹と購買のオバちゃん以外の女性と口を利かない生活を送っていた。あの頃、俺たちは最初から負けていた。背中に羽の生えていない残酷な天使の運命を背負わされていた。でもお前たちは違う。はっきり言おう、お前たちは共学であるというただその1点において、既に青春に勝利している。運命に祝福されている。遥か未来を目指すための羽を手に入れている。なぜ飛ばない?」
 最後のほうはなぜか、熱っぽく語りかけられた。なぜ、と言われても困った。本当に困った。なぜならば、それは本当に僕たちが心の中で少しだけ、しかし確実に感じていたことだったからだ。生徒会だとか、文化祭の実行委員だとか、そういった学園生活の青春をテンプレートをなぞるようにこなしている生徒たちのことを、僕たちは世間に与えられた「高校生の青春」のイメージを追いかける想像力のない連中だと心底バカにしていた。バカにしていたからこそ、自分が物語の主人公だと無条件に信じられる、彼らのひたむきさや楽しそうな顔がうらやましいと思うこともあったのは間違いない。だったら「あの葡萄ぶどうは酸っぱいはずだ」と自分に言い聞かせるのをやめて、素直になって文化祭のキャンプファイアーの輪に自分たちも加わればいいじゃないかと思う人も多いかもしれない。たしかにその通りだ、自分たちは歪んでいるな、と僕も考えていた。しかし現実というのは思い出になって振り返る前は本当に不細工なもので、実際に素直になって飛び込んで見るたびに僕たちは──少なくとも僕は──教室内の人間関係とテレビの話題しかできない普通の生徒たちとの交流をかなり無理をしないと続けることがどれほど難しいことか思い知ることになった。それは要するに、ショッピングモールのBGMとして選ばれがちな歌謡曲バンドのような「夢」とか「ありがとう」とか「大切なもの」を連呼する歌詞や、お笑い番組のフリートークコーナーにありそうな大したことではないことを大げさに驚いて笑ってみせることで無理矢理場をもたせる無内容なコミュニケーションに耐えなければいけないことを意味していたからだ。だからときどき素直になってキャンプファイアーの輪に加わってみるたびに僕たちはすぐに逃げ帰ってきて、いつものようにいつもの仲間たちとつるむようになっていた。
「俺が、連れてこよう」
 カバパンは告げた。誰もそんなことは言っていないし、頼んでもいなかった。しかしカバパンはまるで自分が僕たちの渇望に応えているかのように述べた。
「女子部員を俺が連れてこよう。お前たちが6人いるのだから、6人連れてこよう。誰からも好かれる明るく話しやすい娘から、引っ込み思案だけれどよくものを考えている娘まで。お前たちのようなしょうもない連中と絡むことを、逆に面白がってくれるような女子生徒を選んで、連れてきてやる。個性さまざまな女子に入部してもらって、この写真部の多様性を飛躍的に改善することを約束しよう」
 ……余計なお世話だった。この21世紀になっても、僕たちが暮らしていた田舎町には、30歳近くになって独身の男女がいると、「いい人」を「世話してあげたく」なるタイプの親戚のオジちゃんやオバちゃんがたまにいる(僕の親戚にもいて、従姉妹が迷惑していた)ものだけど、カバパンのこの提案はその類のありがた迷惑な親戚の人のそれに限りなく近かった。
「そんなことが、果たして俺に可能なのか、お前たちは俺に疑いの目を向けるかもしれない。しかし俺には可能だ。いや、むしろ俺以外のどの教師に可能かと問うべきだ。着任3ヶ月にして、既に生徒たち、特に女子生徒に絶大な人望を誇るこの俺だけが、この写真部の未来を切り拓くことができる。違うか?」
 僕の知っている限り、カバパンが特に女子生徒に人気があるという話は聞いたことがなかったけれど、どうやら本人はそう思っているようだった。この学校の正門を出て少し歩いたところに、丸々と太ったブルドッグを庭で飼っている家がある。そのブルドッグは生徒が通りかかると中途半端に低い声で唸り声を上げる。ブルドッグとしては威嚇しているつもりなのだろうけれど、その声は空気の抜けたサッカーボールを思いっきり蹴り上げたような力の抜けた音で、なんだか微笑ましい気分になる。このブルドッグはこの高校の生徒、特に女子に人気で、たまに塀越しに動画を撮影しているのを見かける。こういう関心の集まり方を「女子生徒に人気がある」と表現してよいのならば、カバパンはたしかに女子生徒に人気の教師だった。
「1週間待っていろ。俺がこの部室に女子部員を連れて来てやる。そして、お前たちは俺という教師に出会ったことに、生涯感謝することになるだろう。お前たちが今の俺くらいの年齢になったとき、きっと思い出すはずだ。あのとき樺山先生が部室に現れなければ、自分の青春は灰色のままだっただろうと」
 そしてカバパンはさっそうと立ち上がり、部室を去っていった。結局カバパンがこのままこの部室に居着いてしまうのかは、いまいちハッキリしなかった。しかし、カバパンは週が明けても部室に現れなかった。仲間たちはそのことにほっとしていた。カバパンのやつ、調子のいいことを言ったけれど結局あれから一度も部室に来ないじゃないか、と。けれど、僕の考えは違った。なぜならば、その翌日から僕はカバパンが昼休みや放課後に女子生徒たちと立ち話をしているのを何度か見かけたからだ。担任を持っていない上に、先週写真部の部室に現れるまでは担当する部活動の顧問すらサボタージュしていたと思われるあのカバパンが、授業以外で生徒と接することは稀で、どう考えてもこうした時間に生徒たちと談笑しているのは不自然だった。そしてたぶん、いや、確実にカバパンは僕の不安な視線に気づいていた。教室や、廊下で僕は何度かカバパンと目が合った──ような気がした。そしてそのたびにカバパンはあのときと同じ目をしていた。1週間待っていろ、俺が女子部員を連れて来てやる──そう、僕たちの前で啖呵を切ったときと同じ目をカバパンはしていた。カバパンはたぶん、本気だった。本気で写真部に女子部員を連れて来るつもりだった。常識的に考えて、僕らのような(藤川を擁しているとはいえ)パッとしない男子たちのグループに加わりたがる女子がいるとは思えなかった。むしろカバパンがこうして勧誘活動を行うことによって、あいつらがカバパンを使って女子部員を獲得しようとしていると噂が立ったら本当に困るというか、それこそ本当にこの学校に居場所がなくなってしまうような気がしたが、幸いにもその気配はなかった。そして週の後半になると、そんなカバパンの姿も見えなくなり、約束の1週間後にカバパンは一人で部室に現れた。

 カバパンはムスッとして僕らの前に立ち、そしてバツの悪そうに、しかしあくまで悪いのは自分ではないと言いたげに僕らを責めるような口調で言った。
「お前たちは、嫌われすぎだ」
 そりゃそうだ、と思った。ふと藤川を見やると小さく肩をすくめてみせた。まあ、そんなもんだろうなとその顔には書いてあった。僕は苦笑したが、同時にほんの少し何かを期待していた、つまりがっかりしている自分を発見して戸惑っていた。カバパンは言った。
「お前たちは、自分たちで思っているよりも他の生徒に、特に女子生徒たちに嫌われている。写真部を占領して好き勝手やっているくせに文化祭にも合唱コンクールにも非協力的だとか、いつも部室で何をやっているか分からないとか、特に藤川と森本は人を小馬鹿にしているのが透けて見えるとか、さんざんな言われようだ」
 最後のところで、どっと笑いが起こった。それは僕たちにとっては褒め言葉だったからだ。笑いをこらえながら、藤川は言った。
「でも、そんな俺たちの悪い評判を覆して、女子部員を連れてこれるのが先生の人望ってやつじゃなかったんですか?」
「いや、それはさ……。ほら、だっていろいろあるじゃん……」
 カバパンは口をとがらせて、うつむいた。なんだかブツブツ文句を言っているようだったけれど、声が小さくて聞こえなかった。子供のようなね方をする教師だった。僕たちが嫌われているのは間違いなかったけれど、カバパンに自分が思っているほど「人望」というものがなかったのも間違いなかった。僕たちは勝ったと思った。そしてこのとき僕はこのカバパンというお調子者で、子供っぽいところがあるけれど気さくな教師とどう付き合っていけばいいのか、少し分かった気がした。こうしてこの教師の言動をやれやれと苦笑しながら面白がっていけば、なかなかいい関係になるのではないか。そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。
「いつまで待たせるんですか。さっさと紹介してくださいよ」
 あのときと──葉山先生の葬式の日のバス停で話したときと──同じように、いつの間にか彼女はそこにいた。本当に気配を感じさせずに、気がついたら彼女はそこにいた。他の5人も息を呑んでいたけれど、いちばん驚いたのは僕だった。他の5人はカバパンが一人だけとはいえ、本当に女子部員を連れて来たことに驚いていた。そして僕はそれに加えて、その一人があの板倉由紀子だったことにさらに驚いていた。
「この人、こうやってあっちこっちで調子のいいことを言ってはうまくいかなくて言い訳ばかりしているんだけど、悪い人じゃないから許してあげて」
 まるで親戚の問題児を紹介するような口調で由紀子は僕たちに言った。それはとても生徒の教師に対する口の利き方ではなかったけれど、なぜか違和感もなかった。当のカバパンも不服だと言わんばかりに頬を膨らませていたが、バツが悪そうに頭をかくだけで特に反論もしなかった。
「たしかに、俺は6人連れて来ることには失敗した。しかし、こいつだって悪い奴じゃない。お前たちみたいなひねくれた生徒とも十分やりあえるくらいタフだし、そしてお前たちみたいなやり方も面白がってくれるはずだ。そうだろう?」
 由紀子の言ったことを自ら証明するような言い訳をカバパンは僕たちに言った。そんなカバパンを由紀子は半ば呆れたような目で見ながら、でも決して否定的ではない笑みを浮かべていた。理由はよく分からなかったけれど、この二人は、妙に仲が良いようだった。そして僕は一連の由紀子とカバパンの慣れたやり取りを見て思った。女子生徒の勧誘に失敗したカバパンは、何らかの理由で距離が近くこうしたことを頼みやすい由紀子を説得してここに連れてきたのだ。由紀子は僕たちに向き直ると言った。
「2年1組の板倉由紀子──森本君とは図書委員会で一緒なんだけど、他の人はあまり話したことがないかな」
 由紀子のその一言に、僕はドキッとした。それは葉山先生の件で仲間たちから浮きがちだったこのときの僕をさらに浮かせるのに十分な一言だったからだ。悪気はないのだろうけれど、勘弁してほしいと僕は思った。由紀子の口もとは、いたずらっぽく笑っていた。僕はそこにちょっとした彼女の悪意のようなものを感じていた。その感触をうまく自分の中で整理できなくて、そのせいで僕はこのときとても大事なことを見逃していた。

(つづく)

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連載【チーム・オルタナティブの冒険】
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宇野常寛(うの・つねひろ)
評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。 著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)。 石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)など多数。 企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。 立教大学社会学部兼任講師も務める。
Twitter:@wakusei2nd

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