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救急車で痛くないふり|渡辺優 パラレル・ユニバース 第29話

 二年ほど前の六月のことです。私はその日、十三時くらいに起きて、冷蔵庫の中にある前日の食べ残しのピザを食べていました。Lサイズ五十パーセントオフクーポンを利用した、ドミノ・ピザのシーフード・スペシャルです。急に、背中の左側に激痛が走りました。刺された! と思いました。

 刺されてはいませんでした。鏡に映して見た背中に外傷らしいものは見当たらず、外から見てわかる異変はなにひとつありませんでした。しかし、ずきずきとした疼痛、内臓をねじられているような深い痛みが治まりません。どんなにのたうちまわってみても、楽な体勢というものが見つからず、ずっとすごく痛いのです。私はなんとか手にしたスマホで、「背中、左、ずっと痛い」と検索してみました。「それはガンかも!?」みたいなサイトばかりがヒットし不安をあおられました。救急車、という言葉が初めて頭に浮かびました。

 痛みによる嘔吐感でトイレにうずくまりながら、「#7119」にダイアルしてみました。これは救急車を呼ぶべきかどうか迷ったときに、看護師さんなどがアドバイスをくれる番号であると、ネットか何かで見て記憶していたのです。「救急車を呼べと言ってくれ!」と願いながらダイアルしました。自分では決定的な判断材料がなく決められないので、その道のプロである看護師さんに救急車を呼ぶ必要性を認めてほしかったのです。しかし、通話は無情にも自動音声に切り替わりました。『この地域ではこの時間帯は対応外です』とのことでした。
 私は救急車を呼びました。「呼べと言ってくれ!」と願った自分の心に従おう、と決断できたので、結果として「#7119」にかけてみて良かったです。救急車はすぐに来てくれました。人生で初の救急車でした。

 救急車の中で、いくつか問診を受けました。名前と生年月日、今日は何月何日かわかりますか? 等。おそらく最後の質問は意識がどの程度明瞭であるか確かめる意味合いがあったと思うのですが、ながらく引きこもって誰とも会話せず執筆の仕事ばかりしていた私は、今日が何月何日かふつうにわからなくてしどろもどろになりました。こいつはやばいな、と思われた気配がしました。直近の食事の内容も聞かれたのですが、十三時に朝ご飯を食べて……などと説明したため「十三時? お昼ご飯でなく? 朝?」と相手をとにかく戸惑わせてしまいました。
 その後問診内容は具体的な症状に移り、どこがどのくらい痛いですか? という質問をされたのですが、そこで更に困ったことが起きました。私はなぜか、ぜんぜん痛くないふりをしようとしてしまったのです。

 自分で救急車を呼んでおいて、「いや、そんなに痛くないですよ、はは」なんて答えてしまってはなんだこいつと思われます。「じゃあ下りてください」と言われかねません。絶対に痛いと主張しなければならないと頭ではわかっていました。そして実際にものすごく痛いのです。ものすごく強い未知の痛みでこれは命の危機かもしれないといろんな汗をかいているのです。このヤバさをぜひ救急隊員の方にもわかっていただきたいのです。
 でも私の中にある社会性というか、これまでの人生で培ってきたことなかれ主義だとか、我慢を美徳とするコモンセンスの圧だとか、意味のない見栄だとか、とにかくそういう脳に根付いたあらゆる感覚が、「平静を装え」と命じていました。「いや、これしきぜんぜん平気です」と強がるのが正しい大人の振る舞いであるような気がどうしてもしてしまうのです。

 そもそも痛みって数値では測れないので、ひとに伝えるのが本当に難しいと思います。頑張って言語化するしかありません。しかし「とにかく痛い」「めちゃくちゃ痛い」「世界一痛い」と言ってみたところで、それらしい振る舞いとセットでなければ、ただ大げさな言い方するひとだなと思われて終わりかもしれません。なので、ちゃんと痛そうな感じで話さなければいけないな、と考えました。そのため私は救急車の中、すごく痛いけど痛くないふりをしそうになるところをぐっとこらえて痛いように振る舞う、という複雑な状況に陥っていました。

 しかし、意図して痛そうな感じで話すことって日常ではほぼないと思います。痛いときに痛くなさそうな感じで話すことの方が圧倒的に多いです。痛みは我慢するもの、耐えるもの、という感覚が染みついています。なので、ちょっと痛がり方が演技っぽくなっているような気がして気が散りました。実際ちょっと演技なわけです。でも痛いのは本当なのです。だからといってあんまり痛い痛いとアピールすると、こいつすごく痛がってるけど本当なのかなと思われる気がしてなんだか悔しいので加減も大事です。見栄と被害妄想が交錯してますます気が散ります。

 そうして病院に運ばれ、医師の診察を受けました。その頃には痛みがピークに達していて、もう本当に死ぬほど痛いな、と思いながら、これだけ痛いともう頑張って演技しなくても痛がってる感じが出てるだろうな、とちょっとほっとしてもいました。ナチュラルにのたうちまわりながら諸々の検査をしていただき、いくつか痛みの原因の候補が上がりました。
 どうやら卵巣がめちゃくちゃ腫れているらしく、腫れた卵巣が捻じれてしまう「卵巣捻転(ねんてん)」の可能性が考えらえる、とのことでした。それだ! と思いました。ちょうど内臓が捻じれているみたいな痛さだなと思っていたのです。「それな気がしますね」と言いました。しかし、医師は悩んでいるようでした。「でも卵巣捻転だったらめちゃくちゃ痛くて、こんなふうに普通に話したりできないはずなんですけど……」、と。

 やられた! と思いました。痛みに油断して痛さアピールを怠った結果です。でもここから急に痛がったらこいつ演(や)ってるな、というのがばれてしまうと思い、もうふつうに正直に「顔に出ないタイプで……」と打ち明けました。
 結局、翌日に手術をしていただけることになりました。結果、卵巣捻転でした。捻じれは三回転にも達していたそうです。しかし腫瘍は良性のもので本当によかったです。こんなぎこちなく痛がる患者に親切に対応していただき、医療従事者の皆様には本当に感謝しています。
 その後、手術の傷が癒えるまで数日入院することとなりました。その間傷口がずっと痛かったのですけれど、ずっと痛くないふりをしていました。

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渡辺優(わたなべ・ゆう)
1987年宮城県生まれ。宮城学院女子大学卒業。2015年『ラメルノエリキサ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『自由なサメと人間たちの夢』『地下にうごめく星』などがある。
Twitter:@watanabe_yu_wat
イラスト/内山ユニコ(うちやま・ゆにこ)
北海道北見市出身、東京都在住。20代の終わりより作品制作を始める。花田菜々子著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』のイラストなどが話題に。
オフィシャルサイト:http://www.vesicapisis.com
Twitter:@YUNICO_UCHIYAMA


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