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名付け|村山由佳 第38話

 哺乳類の赤ちゃんがたいてい可愛らしく生まれてくる理由について、こんな説を聞いたことがある。
 彼らの多くは、たとえば虫や魚や蛇や鳥などと違って、独り立ちするまでに数ヶ月から年単位の長い時間を要する。外敵に対して無防備でいるその間は、親や仲間に守ってもらわなくてはならない。だからこそ、できるだけ保護欲をそそる外見、間違っても敵視されないような姿形をもって生まれてくる必要がある、というのだ。
 本当かどうかは知らない。というか、もしそれが完全に正しいとしたら、独り立ちまでに十数年もの時間を要するヒトの赤ん坊は、あらゆる哺乳類の中で最も可愛くなくてはいけないはずじゃないかと思うのだけれど──正直なところ私の目には、人間の赤ん坊よりも子猫のほうが百倍も可愛く見えてしまう。

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  日付をまたいで一匹ずつ生まれてきた、サビ三毛とハチワレの子猫。
 てのひらより小さな彼らは、目も開かないうちから自分専用の乳首を決めていて、母親の〈お絹(きぬ)〉がどんな体勢で横になろうが鋼鉄の意志をもって突進してゆく。桜色の前肢(まえあし)の先には、まだちゃんと引っ込まない極細の爪がついていて、ちゅくちゅくと吸い立てる合間にその両手がお絹のお腹(なか)をもみしだく。
 生まれた日にはネズミみたいだったけれど、翌日は明らかに猫らしい顔立ちになっていた。ふわふわの毛におおわれた全身が、近くに手をかざすだけですごい熱を発しているのがわかる。
 ぴい、ぷわあ、みゅう、と鳴くのがハチワレ。
 ぴいぃぃ、ぷわあぁぁ、みゅうぅぅ、と鳴くのが三毛。
 言わずもがなのことだけれど、どちらも悶絶(もんぜつ)するほど可愛かった。一日じゅうそばにしゃがんで眺めていても飽きなかった。一挙手一投足すべてを見逃したくなくて、ほとんど仕事にならないくらいだった。
 ちなみに、我が家には当初、子猫たちの行く末について二つの意見があった。
「〈もみじ〉がおった頃でさえ、全部で五匹やってんで。さすがに七匹いっぺんには飼われへんやろう」
 という慎重派と、
「そら確かに多いけど、五匹が七匹になっても、手間そのものはそんなに変わらへんのんちゃうか?」
 という楽観派と。
 前者が私で、後者が背の君だ。
 ふだんはむしろ慎重派の彼にそう言われた時は、あんまり意外で、控えめに言って度肝を抜かれた。
 とはいえ、何しろ彼は、全国放送の「ネコメンタリー」の中であのもみじから、
〈当然のこっちゃけど、一番にうちを、二番目にかーちゃんを大事にしよるし、うちのごはんを自分らの餌より先に用意しよるし、うんこの片付けもサボりよらん〉
 と、下僕として太鼓判を押された男である。
 彼さえそう言ってくれるのだったら、私だってもちろん、こんなに可愛い子猫たちと離れたいわけがない。
「どだい無理や、っちゅうねん」
 と、背の君は言うのだった。
「あのお絹から生まれてきてんで? それも、あれほどの難産を乗り越えてやで? ンなもん、今さらどこの馬の骨とも知れん相手のとこへやれるかいな」
 娘を嫁にやる父みたいなことを言っている。

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 ともあれそんなわけで、子猫たちはそのまま我が家の一員となることが決まった。
 そうとなったら名前を決めなくてはならない。背の君と私は、互いにこころもとない脳みそを絞った末に、彼らをそれぞれ〈朔(さく)〉と〈フツカ〉と名付けた。朔とは「一日(ついたち)」という意味だし、フツカは要するにそのまんまだ。
 産んだお絹のほうは、最初の頃の緊張もだんだん落ち着いてきて、数日たつうちには、お乳を飲み疲れた子猫たちが眠りこむたびにバスケットからそろりと出てきて甘えるようになった。中にいる間は母親の顔なのに、出てくるともう、前のまんまの幼い顔なのだった。
 せっかく寝た子猫たちを起こさないよう、
「おきーぬちゃん」
 ささやき声で話しかけながら抱き上げて膝にのせる。
 たとえば〈銀次(ぎんじ)〉や〈サスケ〉や〈楓(かえで)〉などはこういう時、具合のいい位置を見つけて丸くなったり香箱を作ったりするのだけれど、お絹はまずしない。猫らしく丸くなるのは自分ひとりで寝る時だけで、私たちに甘えるとなると、必ずこちらの身体(からだ)のどこかを背もたれにして寄りかかり、ぽいぽいと投げ出した両脚をぱかっと開いて、
〈うん?〉
 喉をのけぞらせるようにして見上げてくる。
 ああもう、何なのだ、この愛(いと)しい生きものは。こんなことをされたら、彼女の気が済むまでお腹を撫(な)でてやる以外に何ができるというんだろう。
 生まれたての子猫たちが可愛いのはなるほど、そのように創られているからかもしれない。でも、まだ出会ったばかりのはずのお絹が、こんなにもとくべつに愛しく思えるのはどうしてなんだろう。
 説明がつかない。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作を書店で見る

※この記事は、2020年6月19日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

※集英社の読書情報誌「青春と読書」誌で、村山由佳さんと姜尚中さんの対談が行われました。


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