第14話 そして伝説へ──小説に書かれていることなんて、だいたいが嘘ですよ──もうちょっとだけつづく|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」
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第14話 そして伝説へ──小説に書かれていることなんて、だいたいが嘘ですよ──もうちょっとだけつづく|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」

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 無観客配信ライブが幕を開けた。
 カメラは回り、楽器をかまえた5人を撮影している。
 やるしかない。
「はいどーも! みんな、僕たちのライブを見にきてくれてありがとう! リモート配信だけど最後まで楽しんでってね!」
 僕はテンションだけで叫んでみたが、そこから先のセリフなんて考えていなかった。
 そういえばさっき、キーボード担当がMCをやるとか話していた気がする。
 うながすようにそちらを向くと、キーボード担当が自信満々にマイクをにぎった。
「みなさんこんばんは。それでは、これから生ライブをはじめたいと思います。1曲目は、『おやすみマイエンジェル』という曲です。これは、僕たちが最初に作った曲です。どうやって作ったかというと、がんばって作りました」
 こいつにMCをまかせてはいけない!
 すぐにそれを察した僕は、「そりゃそうだけど」と云ってから、
「なんか……作曲にまつわるエピソードとかないんですか? 苦労話みたいな」
「演奏力のない自分たちでも作れる曲というコンセプトだったので、とくに苦労していません」
 そういえばこの曲は、1時間くらいで完成してしまった。
 僕は気を取り直して、
「ま、まあたしかに、すごいシンプルな構成なんですよね。『アスファルト駆け抜ける 車はやい』を4回くり返して、『こんな夜は 寒いから冷えるね』を6回くり返すだけなんだもの」
「人の短期記憶に入れておける情報には限界があるから、これでいいのです。とはいえ、それだけだと飽きてしまうので、ドラマ性も取り入れています。曲の後半、傷ついた羽を抱えた天使が登場します」
「あれがドラマ性なんですか? だってその天使と、まったく接触しないじゃないですか」
「一般的なJ-POPだと、『僕が君を守ったり助けたりするよ』という歌詞になりがちですが、それは共依存なんですよ。この曲は、傷ついた天使の日常に正しい距離感で寄り添い、同時に、その日常の奥にある虚無の深淵をもあざやかに切り取ったことで有名です」
「有名だったんだ……」
「それでは聴いてください、『おやすみマイエンジェル』」
 キーボード担当がイントロを弾き、ついに演奏がはじまる。
 流れるメロディに乗せて、僕とキーボード担当の2人で高らかに歌い上げた。


『おやすみマイエンジェル』

アスファルト駆け抜ける 車はやい
アスファルト駆け抜ける 車はやい
アスファルト駆け抜ける 車はやい
アスファルト駆け抜ける 車はやい

こんな夜は 寒いから冷えるね
こんな夜は 寒いから冷えるね
こんな夜は 寒いから冷えるね
こんな夜は 寒いから冷えるね
こんな夜は 寒いから冷えるね
こんな夜は 寒いから冷えるね

ああ 傷ついた羽を抱えて
ああ 傷ついた羽を抱えて
今夜は早めに おうちに帰って
今夜は早めに お風呂に入って
そしてゆっくり おやすみマイエンジェル
そしてゆっくり おやすみマイエンジェル


 演奏を終えた僕は、マイクに向かって元気よく、「センキュー!」と叫んだ。うまくいっていようがいなかろうが、「センキュー!」と大声で叫べばなんとなくまとまるという技法は、桑田佳祐から学んだ。
 キーボード担当がふたたびマイクをにぎった。
「では、つづきまして2曲目。といっても、これで最後なんですが、『なにかください』という曲です。どうやって作ったかというと……」
「毎回やるのそれ?」
「みんなでがんばって作りました」
「やっぱり!」
 しかし僕のツッコミに反応することなく、キーボード担当は真剣な声で、
「曲を聴いてもらう前に、創作と脳科学の話をさせてください。ウイルス以降、この世界はアウトプット時代に突入したと僕は思っています。1人1人が世界に向けて発信していくのが重要になっている時代。この星に生きる全員が、なにかしら発信する必要性に迫られてきている時代です」
「はあ」
「この閉塞の時代にあっては、『発信したい! 表現したい!』という欲望を持つ人は、どんどん増えていくことでしょう。なぜかというと、それが一番楽しいことだからでもあるし、満足感を抱いたり、人生を豊かにしたりするためのステップだからでもあります」
「あの、さっきからなんの話です? 曲と関係ないんじゃ……」
「よくわかります!」
 僕の文句をさえぎったのは、ベース担当の某氏だ。
 某氏はつづけて、彼にしてはめずらしい量のことばを一気に発した。
「今って、家にいることが多くなっているじゃないですか。だから、なにか発信しないと……だめ人間になっちゃうような気がして、ずっと不安だったんです。僕、ステイホームでテレワークに移行したとたん、これまで仕事で得られていた満足感や万能感が消えてしまったんですよ。それで、その穴を埋めるようなことがしたいけれど、自分にはそんなユニークスキルがなかったということもまた、ステイホームで思い知ったわけなんです。夢から覚めたような感覚です」
「それって、仕事をしているだけじゃ解消されないんですか?」
 まだ話の流れが読めない僕はたずねた。
「ええ、仕事とはまたべつなんです。僕はこれまで毎日ふつうに会社に行ってましたが、今もまだ出社できずテレワークがつづいています。そうなると、意外とね、職場とか電車通勤とかって意味があったんだということに気づきました。気持ちの切り替えになっていたんです。家ではメリハリがつかないし、仕事もこれまでのようには進められないし、そうなってくると、気持ちの面で結構つらいんですよ。そして世の中に向けて、なにかを表現したくなってくるんですよね」
 ちなみに某氏は、東京の大手企業に勤めるサラリーマンだ。
 キーボード担当は小さくうなずいて、
「創作や表現というのは人間の本能なのです。僕たちの音楽活動だってそうです。このバンド活動って、それぞれの仕事とはなんの関係もないけれど、楽しいし、気持ちいいからやっているというのが大きいじゃないですか。今回のステイホームで、そういうふうに個人が発信したいという欲望が加速されました」
「だから僕は、このバンドがあってよかったって思ってます」
 某氏は云った。
 ああ。
 ようやく理解ができた。
 僕は小説家だから、こういってよければ、小説という仕事で自分を表現すると同時に、自分を救う作業をつねにやっているようなものだったが、今回のステイホームによってそれ以外の人たちも、自分自身と向き合う時間ができてしまった。
 結果、自分にはなにもないということに気づいてしまった。
 この空虚な穴を埋めるためになにかをしたい。仕事の延長でも、単純に趣味としても、これまでとはべつのなにかを発信したい。そのような人たちが増えたという話だとすればよくわかる。実際、ステイホームの期間中、これまでその必要もなかったはずの有名人までもがYouTubeに進出した。彼ら彼女らの心にもまた、今まではなかった焦りが生まれたのだ。
 そういえば某氏がバンド活動により参加するようになったのは、ウイルス騒動以降だった。ステイホームで時間の余裕ができたからだと思っていたが、どうもそれだけではなかったらしい。
 キーボード担当は、あらゆる辛苦から解放してくれる天上人のような顔つきで、
「ウイルスは多くの人に、創作が自分自身を救ってくれることに気づかせました。しかしここに罠があります。ステイホームによる欲求不満とか、自分を苦しめるストレスとかを動力源にした創作はいけません。そういった暗黒面に頼った創作をしていると、二度と闇から抜け出せなくなって、寂しい一生を送るんですよ。それは悲しいことなんですよ」
「え、僕、自分の暗黒面ばかり使ってるかもだけど……」
 僕のことばを受けたキーボード担当は、「小説家は、自分の不幸もネタにしますから危ないですね」と云ったあと、
「代表的な例では、太宰治は闇に呑まれました。『全部わざとやってます』などと言っておいて、最後、呑まれました。創作活動が怖いのは、実人生と創作が一体化していくところなんですよ。これはですね、分離することは不可能です。自分の表現が、未来の自分を作り上げていくのです」
「自分の表現に、自分自身が寄っていくってことですか?」
「脳の仕組みとして、自分が発したことばに、どんどん吸い寄せられてしまうんです。たとえば攻撃的な文章ばかり書いている人は、最初はネタでやっていたとしても、やがてその方向性から逃れられなくなってしまいます。暗黒面を多用した創作ばかりしていると、自分で作ったその世界から出られなくなってしまう。むかしの文豪はみんなそれで、闇に呑まれてしまいました」
 これもまた、よくわかる話だ。ツイッターを見ていると、極端なことばの使い方をする人をたくさん観測できる。連中がネタではなくガチでやっているように感じられたのは、キーボード担当の言を借りれば、暗黒面を使った創作によって堕天したからということだった。たしかに僕も、暗い話を書いているときに、その主人公の主張に人生がひっぱられてしまうことがあった。自分では分別できていると思っていたが、知らず識らずのうちに闇に引きずられるという感覚は本当によくわかる。
 キーボード担当が云った。
「このステイホームを機に、創作をはじめた人は、そこに注意してください。自分が表現したことで、自分の未来が生まれます。このさき、どう生きたいかをよく考えたうえで、それに近い創作活動をしていくのが大切です。正しき言霊を使い、正しき道を進んでください。それで、次に僕たちが歌う『なにかください』ですが、これはですね、『おカネやものを送ってほしい』とお願いしているだけの曲です。これが、なんと、この曲をYouTubeにアップしたあとに、大量の給付金が政府から送られてきました。ほら、自分の表現が自分の未来を作るでしょう」
「え、そういうことでいいの?」
「いいのです。素直さが大事な時代です。それでは、お聴きください。『なにかください』」
 演奏がはじまる。


『なにかください』

僕に おカネを 送ってほしい
僕に なにかを 送ってほしい
僕に 「いいね!」を 送ってほしい
僕に 応援を 送ってほしい
僕に 地位と名誉を 送ってほしい
僕に 図書カードを 送ってほしい
僕に ビール券を 送ってほしい
僕に ほしい物リストに入れたものを 送ってほしい
僕に 地方の美味しいものを 送ってほしい
僕に やすらぎを 送ってほしい
僕に 愛情を 送ってほしい
僕に すべてを 送ってほしい

きみの力が 今 求められている
きみの力が 今 求められている
きみの力が 今 求められている
きみの力が 今 求められている

人は助け合いの気持ちで 生きていく 生き物
人は助け合いの気持ちで 生きていく 生き物
人は 人と助け合って
生きていく 生き物だから

きみは僕を助け
僕はきみに感謝して
きみは僕を助け
僕はきみに感謝して云うよ
ありがとう
ありがとう


 ほとんど説法のようなMCの効果か、あるいはライブによってテンションが上っただけか、キーボード担当といっしょに歌い、さほどうまくもないギターを弾いているうちに、なんというか率直に云って、いい気持ちになってきた。こんなアホでどうしようもない歌詞を歌っているのに、とてつもなく気持ちがいいのだ。『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン少年が、妹が回転木馬に乗ってニコニコしている様子をながめていると多幸感に満たされたときのように、なんだかよくわからないがとにかく、そしてわけもなく、幸せになってしまったのだ。ライブを失敗したらどうしようとか、こんなイベントだれが見るんだろうとか不安がっていた僕にしてみれば、それは意外な効能だった。
 スタジオで練習していたときにはけっして感じられなかった幸福。
 曲を作り、送り、それを受け止めてもらったことで得られた幸福。
 一方的なものではなく、受け手と送り手がいて生じる循環が幸福。
 圧倒的。
 圧倒的な幸福だった。
 一筋の光がひらめき、それが心をはげしく打ち、すべての願いが成満(じょうまん)されたような感覚に僕は震えた。演奏しながら、歌いながら、僕はここではないどこかでたしかな幸福に満たされていた。ダンテならここで、『しかし早くも、私の願いと私の意志は、まろやかに回る輪のように、かの愛に回されていた』とでも書くだろう。
 ああ、こんなものか。
 これで幸福になれるのか。
 もっと早くやっておけばよかった。
 ぐんぐん上昇する幸福に呑まれたまま、ライブは終わった。
 最後に僕は叫んだ。
「センキュー! どうもありがとう。またね。みんな死ぬなよー!」

「お客さんのコメント見ませんか?」
 片づけをしていると、タブレットを持ったPさんがやってきた。
 メンバー全員で、ライブの最中に書かれたコメントを見る。
 以下抜粋。
「伝説のはじまり……!」「わーわー」「いいねボタンがあれば連打している!!」「自分もライブしたい」「意外といい声」「打楽器なんかわからんけど好き」「みんなでがんばって作ったのが伝わってきました」「88888888」「多幸感が強い」「ギターはインプロ?」「まじでよかったです」「ベースがプロっぽい」「まさか感動するとは思わなかった!」「MCがすごい心にきましたよー」「アコギがしみる」「歌詞が虚無なのに感動する」「来週もしてくれ!」「たのしかったです」「せんきゅーーー」「伝説のはじまり!」「おかげで明日からがんばれます」
 ポジティブなことばがならんでいる。
 僕は思わず、「すごい。だれも『死ね』って書いてない!」と叫んだ。
「みんな優しいですね」
 Pさんが云った。
「カネ払って聴いてるからなあ」
 メインギター担当が云った。
「うん、これは大成功ですよ」
 キーボード担当が云った。
「『おかげで明日からがんばれます』が最後のコメントなんて、すばらしい」
 某氏が云った。
 僕も上機嫌でうなずいて、
「よかった。いいバイブスをお客さんにあたえられた気がします。これなら、リアルのライブもやれそうですね!」
 こうして僕たちは全員、幸せになった。
 めでたしめでたし。
 スタッフに礼を云い、本日のギャランティをもらい、書店を出る。
 すっかり夜になっていた。
 あいかわらず下北沢には若者がたくさんいた。中には酔っ払った者までいて、警察の厄介になっていた。若者たちはみんな笑顔だった。この世が地獄ということを知らないようなその態度は、しかし僕をイラつかせなかった。あれだけ嫌悪していた下北沢という場所が、今ではまるで天国に見える。それはけっして自分だけではないようで、ウイルス感染を人並み以上に警戒するはずの僕たちにはめずらしく、ここで打ち上げをしようという話になった。今の僕たちは、ウイルスさえも避けて通る。そんな気がした。
 たまたま目についた台湾料理屋に入り、今日のギャラをみんなここで使ういきおいで、酒と料理をしこたま注文する。
 青島(チンタオ)ビールで乾杯。
 メインギター担当が、「大成功だったね今回」と云ってグラスを合わせると、キーボード担当は真剣な口調で、
「次はフェスですね。フジロックを目標にしましょう。僕たちは確実に、ミュージシャンとしての道を歩んでいます」
 僕はゲラゲラ笑いながらビールを一気に飲み、
「横浜アリーナが見えてきたよ! いやー、伝説を作れましたね。今回のお客さんはかなり貴重な体験をしましたよ。僕たちの才能がほどよく出ていてよかった! MCもよかった! 最初、『がんばって作りました』とか云ってたときは、正直、めっちゃ不安だったけど」
「僕がMCで曲の解説をすることで、お客さんも歌に入りこみやすかったはずです。あのような導入方法は、瞑想で使うテクニックなのですが、功を奏したようですね」
「アドリブであんな話ができるのはすごいですよ」
「僕たちの楽曲がすばらしいから、あのようなMCが自然と出てきたのです。やはりね、ステイホーム中も作曲やYouTubeをやめなかったのがよかったですよ。これが僕たちだということを、今回のライブできちんと見せることができました。世界がどうなろうと、ちゃんと進みつづけるという姿勢を見せることができました。今から創作をはじめようとしている人たちの励みにもなったことでしょう」
「あ、料理きましたよ。えっと、一応みんな、料理は自分でとってくださいね。菜箸で。ねんのため。これで感染したら笑えないから!」
「いただきます」
「うま」
「うま」
「うま!」
「台湾料理うまい」
「めっちゃうまい」
「みんな飢えてるなあ」
「ご飯がおいしい!」
「うますぎか……」
「がつがつ食うのは気持ちがいいねー」
「こんなにご飯をおいしく感じたのはひさしぶり!」
 しこたま飲み、しこたま食べた。幸福だった。卵焼きを切り分けるときも、空芯菜と豆苗をまちがえて頼んだときも、すべてが幸福だった。世界は今、未曽有のウイルス禍にあり、来年はおろか年末がどうなるのかも読めないような不安定な状況だったが、そうした非常時さえどうでもよかった。あらゆることに思いわずらい、崩れそうな予感とつねに闘い、つねに敗北している僕にはめずらしい心地……いや、境地だった。快楽という、よく使われるが案外だれもたどり着けていない境地の中心に我が身があった。僕は重厚な快楽をたっぷり味わってもはや窒息しそうになりながら、その質量のある幸福の中で際限なく酔いつづけ、笑いつづけた。
「これで僕、『青春とシリアルキラー』のラスト書けるわ。今日のライブで話を終わらせよう」
 僕はすっかり酔っ払いながら云った。
 それは自分の頭からではなく、心の中から発せられたきわめて自然なことばだった。
「いいですねそれは。最高ですね」
 キーボード担当がなんどもうなずく。
「40歳も間近に控えて、自分の歌で癒やされて終わるっていいよね……うん、決めた。そういうラストにしよう」
 僕の人生、まったくなにもうまくいっていないが、それでも確実に進みつづけている。僕は今、その予感に満足している。
 世間とくらべることなく、世界と格闘することなく、こんなふうに自然に幸福を感じられるようになった僕は、今宵、ゴールしたのだ。到達したのだ。到達。なんとすばらしいことばだろう。僕は頂上に到達した。もう、思い悩むことはない。世界や他人と格闘することもない。外部がもたらす重圧にも、自分自身の重圧にも押しつぶされることなく、鳥のように軽やかに飛翔し、歌のように甘やかに流れる。それがこれからの僕なのだ。混沌とした世界の座で、ウイルスにも他者にも感染することなく、圧倒的に存在しつづける。そんなたしかな個人が僕なのだ。
 幸福に到達。
 ありがとう。
 ありがとう。
 もはや、この先につづく文章はない。
(終)








































 本当に?
 なんだか……ちがう気がする。
 これまでの小説なら、ここでエンドマークを打っていた。
 主人公を苦しめる問題はとくに解決していないけれど、感情があふれて幸福感が最強に高まったところでジ・エンド。
 僕はいつだって、そんなふうに小説を終わらせてきた。
 自己否定する気はないので弁明するが、それは正しい解決策だった。本当の終わりというのは、物語の主人公が死ぬその瞬間までわからない。ハッピーエンドで物語の幕が閉じたその翌日に、主人公が車にひかれて死ぬ可能性だってあるのに、「めでたしめでたし」といって半ば強引に終わらせるのは、ちょうどいいところで切り上げないと冗長だし、主人公が次の不幸にやられてべつの物語に突入してしまうからだ。だからこそわかりやすい区切りとして、主人公が幸福のピークをむかえた瞬間に物語を終わらせるというのは、古来からよくある手法だった。
 でも今回は、ちがう気がする。
 そんなふうに終わらせてはいけない。
 なぜなら、『青春とシリアルキラー』の主人公である「僕」の日常は、むろん、このあともつづく。打ち上げのシーンが終わったら、「僕」は家に帰る。妻と息子の寝顔を見て、「僕」もまた眠る。で、明日も変わらずに幸福なのか? 妻はすぐに仕事に出てしまい、「僕」はまたいつものように息子に食事を作って、小説を書く時間もなくて、酒ばかり飲んで、自殺のことばかり考えて、きっとまた、あらゆることに欲求不満を感じるようになるだろう。こんなのは、だれの目から見ても明らかだ。「僕」がすぐに、死にたい死にたいと騒ぐのは確実だ。
「僕」が浴びている多幸感は、一時的なものにすぎない。ライブ後の興奮がもたらす刹那のよろこびが翌日まで残るわけがない。これを書いている僕は、だれよりもそれをわかっているはずなのに、ここで筆を擱(お)くというのは、「僕」を見捨てるのとおなじでゆるされない。これを読んでいるみなさんもまた、そんな終わりをゆるさないだろう。作中の「僕」がライブによる多幸感を浴びながら終わったところで、まやかしの解決にすぎないことを見破るはずだ。
 きちんと「僕」を救わねば。
 心を救わねば。ほかのことはべつにいい。
 そもそも「僕」は、わりと幸せな男だった。
 小説家というめずらしい職業につき、結婚して子供がいて、打ち合わせと称してタダ酒を飲んだり、ミュージシャンでもないのにライブしたり、若い役者のアフレコを見に行ったりして、そんな人生、僕だってうらやましいと思う。カート・コバーンや竹内結子ほどではないにせよ、持たざる者から見れば、「いったいなにが苦しくて死にたがっているのかよくわからない」と云われるくらい、「僕」はきわめて順調な人生だった。
 ちなみに作者である僕も、そして作中の主人公である「僕」も、先日自殺した俳優の竹内結子とおなじ年齢で、彼女とおなじく「家庭の幸福」の中にいる。なので……やろうと思えばの話だが……「家庭の幸福」に苦しさを感じているから自殺したいのだと宣言することはできるし、そんなふうにわかりやすい説明を入れると、みなさんの中にも納得してくれる人が出てくるかもしれない。あるいはもっと文学的装飾をたっぷりまぶした、「意外かつ個人的な自殺の理由」を書くことだって可能だ。
 もし、万が一、そんなことが書かれたとしても、どうか信じないでほしい。
 小説に書かれていることなんて、だいたいが嘘ですよ。
 こまかく、ていねいに、死にたい理由が書かれた文章を読んだとしても、けっして信じないでほしい。
 この世には、遺書という大変に強力な表現手段があるけれども、僕はそこに書かれていることをすっかり信じたことはなかった。なにかを説明しようとしているときに、その人物の本音がそこに書きつくされているとはかぎらないからだ。
 かりに、僕の感情のすべてを正直に書いたとしても、実際の僕の頭の中にある事物をそっくりそのまま表現できたとは思わない。実際との差異というか、違和感というか、「なんかちょっとちがうかも」というもどかしさがつねにある。僕のようなことばのプロでさえ、自身の観念をありのままに表現するのはむずかしいのだ。ちゃんと書けたと思ったら、他人のことばをうっかりそのまま借用していて、自分の考えていたこととは相当の開きがあるなんてこともめずらしくない(ちなみにここらへんの文章は、みんな他人からの借り物である。元ネタは自分でさがしてください)。
 さらに厄介なことに、この小説のかんじんなところは、これといった理由がないけれど自殺したいという点であり、そんな小説の主人公である「僕」は、どう見ても劇場型の人間で、やっていることがいちいち芝居じみている。そしてはっきり断言するが、自殺したいとアピールしているやつの大半は、本音よりもむしろ虚勢を語りたがっている。
 だから、ちゃんと疑ってやらなければだめだ。
 ちなみに僕は、「僕」を疑っている。
 なぜならこいつは、かんじんな問題を書いていない。

 妻の話を書いていない。

「僕」の妻は作中にまだちゃんと登場しておらず、ここに問題の種があるのは明らかなのに、すっかり省略してしまっている。夏目漱石をはじめとする文豪がやったように、妻から逃げようとしている。そんな小説なんてもういらない。今は明治でも大正でもなく、令和だ。いいかげんに更新すべきじゃないのか。僕たちが本当に救われるのは、そうした問題を本気でクリアした小説だけじゃないのか。
 現在、女性たちはフェミニズムという大きな流れの中で新しいことをやろうとしているのに、男たちはあいかわらずの「終わらない思春期」について語るだけで本当にいいのか。
 いくつになっても思春期は終わらず、それが苦しい。
 たしかに事実だ。
 その通りだ。
 でも、いつまでもそればかりでは僕自身やみなさんが成長しないだけではなく、この小説の想定読者層の1つである、シリアルキラー予備軍の凶行を止めることもできないのではないのか?
 創作活動と実人生とのつながりを、キーボード担当は語った。
 自分が表現したことで、自分の未来が生まれる。正しき言霊を使い、正しき道を進むべし。彼はそう言った。
 たしかにその通りだ。自分の暗黒面を使った創作なんてものは、昭和や平成に捨ててしまえ。「あなたの本を読んで人を殺すことにしました」と犯罪者に云われたことを誇るよりも、「あなたの本を読んで人を殺すのをやめました」と云われたほうが素敵ではないか。僕は今ならそう思える。きっと「僕」もおなじ意見のはずだ。男たちを苦しめるいつもの問題をただ書くだけでなく、とくに理由はないけれど自殺したいという場所から救ってやるべきなのだ。
 というわけで、もうちょっとだけつづく。よしやるぞ。ここからは延長戦だ。
(つづく!)

illustration Koya Takahashi

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連載【青春とシリアルキラー】
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佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

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