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津原泰水「飼育とその技能」第3回 とうかさん(3)

祖母や母からサンカ(広島を中心に分布していた無国籍人)の「ジリョウジ」の血を受け継ぐ大学生、界暈(さかい・かさ)は、ある事件をきっかけに「ジリョウジの力」に目覚めていた。やがてその力が、かつて広島であった恐ろしい出来事に自らを引き寄せてしまうとも知らずに。
Kirie:Shinobu Ohash

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 幼児のとき一度だけ、生身のサンカを見た。連鎖する諸々の記憶——あどけない思考の残滓(ざんし)——から類推して、おれは四、五歳。その女は、笊(ざる)や箒(ほうき)の行商にやって来たのだ、父とおふくろとおれ、そして祖母が暮らす、薬局裏の家に。
 異国の唄のような、おれたちと同じ言葉を話しているのだとすればたいそう調子っぱずれな甲高い物言いが、今でも耳の底にこびり付いている。何を云っているのかおれにはさっぱり聴き取れなかったが、おふくろとの会話は成立していた。
 女を、おふくろは明らかに煙たがり、追い払いたがって、肩を怒らせた背中から殺気さえ発していた。故におれはサンカの女に対して同情気味に、柱にはんぶん身を隠して玄関でのなりゆきを見詰めていた。
 物心がつきかけていたおれは、また、こう気付きかけてもいた——自分の母親の容赦ない言動に愕然となる人間は、この世に自分一人ではない。
 替えの利かない存在である実の母親が、絵本やテレビや幼稚園の保母たちが語るステロタイプから程遠いというのは、幼児にとって容易には認めがたい現実だ。かといって、ふと呪いが解けて本当の「優しいお母さん」が姿を現す瞬間を待ち続けるのにも、おれはいいかげん倦(う)みつつあった。奇蹟はいつ訪れる? おふくろが生きているあいだという保証はあるのか。死んでしまった死体のおふくろが世間並みの優しさを取り戻したとて、本人はもうそれを発揮しようがないしおれも味わいようがない。むしろ今のおふくろに心を馴らしておいて、歓迎すべき変化は余禄として有り難く受け容れたほうが得策ではないのか? 期待するから、奪われたようで苦しくなる。諦めていれば、全ての出来事は贈りものだ。
 他者に対する容赦のなさは、その母親である祖母にも共通するところだった。仮におふくろの存在なかりせば、こちらも相当にけんどい人間と見られていたことだろう。
 相手を怒らせるような態度やその持ち主を、広島弁で「けんどい」と形容する。たんなる無礼ではなく、心ない鋭さ、無闇に批評的、頭と舌の使いどころを弁(わきま)えていない、といったニュアンスがある。もっとも祖母には、咽(のど)まで出掛かっていた文句をかぶりを振って呑み込むような慎重さも、あるていど備わっていた。おふくろはひたすら不用意だ。今も変わっていない。
 おふくろの険のある態度がサンカの女を過分に傷付けていやしまいかと幼心をやきもきさせる一方、彼女の真夏のような服装に違和感をおぼえてもいた。つまりそんな季節ではなかったことになる。色のくろい痩せた中年女だった。くたびれたブラウスから露出した細長い頸(くび)が、小枝を束ねたように筋張っていた。相手を早々に追い払う気でいたおふくろは玄関に灯りを点しておらず、薄暗い空間で女の大きな眼は落ち着きなく瞬いた。
「ほにや」「良(え)かろうて」といったおふくろの心のこもらぬ相槌から、抱えている笊や箒の利点を説いているのだと推察された。しかし、いくら細工仕事に長けたサンカの手作りといっても笊は笊、箒は箒であって、入れた物が増えるでも塵(ごみ)が吸いつくでもない。おふくろが幾度となく「高い」と発したのを見るに、それなりに強気の値付けだったと思しい。それでいて民芸品としての上等な美を備えているでもなかった。
 その昔は、地主に伐らせてもらったり山に自生していたりの竹やら棕櫚(しゅろ)と、麻縄や木綿糸といった素朴な材料だけで拵(こしら)えていたのだろう。しかし女がおふくろに披露していたそれらは無用にカラフルで、品が無かった。装飾としてか補強としてか、各所にポリエチレンのいわゆるスズランテープが使われていたのである。サンカにまつわる本は見付けたかぎりを読んできたが、描かれている彼らは一様に滑稽なほど時代がかっていて、そういう、そこそこ時代に適応していた姿の描写にはお目に掛かったためしがない。
 勝算があってか意地になってか、かなりの時間、女はおふくろに食い下がっていたように思う。結局のところ何一つとして売ること叶わぬまま立ち去ったのだが、居間に戻ってきたおふくろは、昂奮醒めやらぬ風情で、
「なんなんかいね、ありゃ。好かんたらしいいうて……うちらが誰やら見抜いとるんじゃないか思うて、冷や冷やしたわ」
 祖母は宥(なだ)めて、「ただのセブリの女よ。教え込まれた売り口上を繰り返しよるだけの、解らんちんじゃ」
「お母さん、隠れよったくせに。あの抜け目なさげな眼、見てみんさいいうて」
「まあ必ず近くに仲間が居るけえ、用心するに越したこたあないわいね」それから、祖母は急にしみじみと、「まだああようなサンカが残っとるんじゃねえ。てっきり、とうにみな山から下りてきて、里の人混みに紛れてしもうたもんじゃと——」


 サンカとは、かつて日本の山間部をさすらっていた無国籍人のことだ。
 似たり寄ったりの民の姿は、かつて全国各地で見られたに違いないが、ことサンカと呼び習わされていた人々がいて、それは中国地方に多かった。広島県を中心に、としている文献は少なくない。従って雑賀(さいか)みらいの口にした「サンカとか」が、こちらの聞き間違いではなく、彼女が咄嗟、その話題としての繊細さに気付いて誤魔化したのだとしても、突拍子もない連想に起因するとは云えない。しかし稀有なことだ。現代日本に於いてサンカを記憶している者は僅かだろう、その実体はもとより、言葉さえ。
 サンカに厳密な定義はない。正規の表記もない。散家、山家、山稼、山窩……どれも宛字とされる。そもそもサンカは彼らの自称ではなく、あくまで里人(りじん)側からの呼び名だ。サンカにとって、サンカは、人でしかなかった。仙人のようなのもいただろうし、盗み、強姦、人殺しを厭わぬ悪党もいただろう。平等であった道理もない。里人より豊かなサンカも、野良犬なみに貧しいサンカもいただろう。
 彼らは未開人ではない。山で調達した動植物を食らいはしたが、里と一定の経済関係を結んでいた。商品は、みずから拵えた日用品、採取した薬草、干し魚、道具の修繕、祈祷や護符、憐れな身のうえ話……と多岐に亘った。
 広島出身の井伏鱒二は随想に、隣村に小さな家を構えて定住していたサンカの夫婦を描いている。彼らは菜園を持っていた。夏はふたりして井伏の村に遠征してきて、魚獲り名人の亭主は漁に励み、女房は川原で白焼きにしたそれを行商していたという。
 愛想の良いこの女房は、魚獲りの投げ網を破ってしまった井伏が修繕を頼む相手でもあった。お礼は米一合。編み足しの際は流石に一升を要求されたというが、「ずいぶん安い手間賃である」と振り返っている。
 里人社会の構成員であったとしか云いようがないこの夫妻もまたサンカなら、サンカをサンカたらしめていた要因は、ほぼ無国籍の一点に集約される。代々無国籍か、親に国籍はあったが子の出生を役場に届けてくれなかったか、だ。
 むろん四、五歳児だったおれが斯様(かよう)なサンカ考に及ぶべくもなく、ただ、さっきの女(ひと)はサンカ、とおふくろと祖母の会話を丸呑みにして、そこに滲んでいた彼らへの愛着とも嫌悪ともつかぬ気配の正体も、悟ったのは後年、追い追いにである。
 いつ知らされたとも憶えていない。どうせ自然に悟ると思われていて、事実、そうなったのだろう。
 おれは勝手に悟ったのだろう——祖母が結婚するまではサンカだったことを、そしてそれが軽々に口外できる出自ではないことを。
(つづく)

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連載小説【飼育とその技能】
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津原泰水(つはら・やすみ)
1964年広島市生まれ。学生時代から津原やすみ名義で少女小説を手がけ幅広い支持を得る。97年、現名義で長編『妖都』刊行。2012年、『11』が第2回Twitter文学賞国内部門1位。2014年、近藤ようこによって漫画化された『五色の舟』が第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。著書に『綺譚集』『ブラバン』『バレエ・メカニック』等がある。
Twitter:@tsuharayasumi

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