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渡辺優 パラレル・ユニバース 第27話「ピアノを諦めた話」

 ピアノを四年くらい前に買いました。小説で新人賞をいただいて、賞金のおかげで豊かな心になっていたときでした。いかにもピアノらしい白と黒のカラーリングにシンプルなフォルムの、見ているだけで幸せになれるヤマハの電子ピアノ。私はこれをがんがん弾きこなして自らの中に眠り続けてきた音楽的才能をがんがん開花させるつもりでした。

 はじめてピアノと向き合ったのは小学校一年生のときだったと思います。ある日突然母から、「ピアノとか習ってみる?」と聞かれたのでした。私はそれまでピアノを習いたいと思ったことは一度もありませんでしたが、そう聞かれた瞬間にものすごく習ってみたくなりました。
 そうして藪から棒にピアノを習い始めたのですけれど、せっかく通わせてもらったピアノ教室での記憶は数えるほどしかありません。一番印象に残っているのは、私がレッスンを受けている間、つきそいの母が傍らのソファに座って、教室に置かれていた漫画『ちびまる子ちゃん』を読んでいたことです。ある日の帰り道、母から「『ちびまる子ちゃん』が面白すぎて、レッスン中爆笑しそうになってこらえるのがつらい」と打ち明けられました。『ちびまる子ちゃん』ってそんなに面白いのか……と思ったことを鮮明に覚えています。後日うちには『ちびまる子ちゃん』が全巻そろいました。

 もうひとつ印象に残っているのは、両親が買ってくれた電子ピアノの自動演奏機能のなかに、ドビュッシー作曲の『ゴリウォーグのケークウォーク』が入っていて、私はそれがめちゃめちゃ怖かったという思い出です。当時私の中では、ピアノの楽曲というのはどれも繊細で叙情的で、とにかく美しいメロディーラインというイメージがありました。そうしてわくわくしながら自動演奏を再生してみたら、デレッデレンレン♪ デレッテレン♪ デレレレン♪ デレレレン♪ ンデッ♪ デッデ♪ デッテデ♪ という有無を言わせない感じの陽気な旋律が流れ出したので驚いたのでした。私はそこになんというかピエロの笑顔的な、ぐいぐい迫って来る、逃れられないクレイジーなハピネスを感じ、恐怖を覚えました。今でも街中などでふと『ゴリウォーグのケークウォーク』が流れているのを耳にすると、ぐいぐい来るピエロを思い出してちょっと嫌な気分になります。ンデッ♪ の部分が特に嫌です。

 小学三年生になったとき、ピアノをやめました。なんの未練もありませんでした。私はとにかくピアノの練習が面倒くさくて、毎週のピアノ教室がほとほと嫌になっていたのです。そもそも当時の自分には、音楽を本当に好きとか楽しく感じるような心がなかったように思います。ピアノを習うことを勧めてくれた母も、やめることを止めたりはしませんでした。そもそも母が私にピアノを習わせようと提案したのは、当時私がアニメソングなどをめちゃくちゃな音程で歌っているのを聞いて、これはちょっとヤバいんじゃないか……、ピアノかなにか習わせたほうがいいのではないか……、と思ってのことだったそうで、素晴らしい才能の開花などは期待されていなかったのだと大人になってから知りました。

 音楽を愛する心が芽生えたのは、ティーンエイジャーになってからでした。私は世の中のすべてのティーンエイジャーと同様に、楽器を弾きこなしたいという願望を持つようになりました。しかしそのころ部屋の片隅でずっと放置されていた電子ピアノは、「レ」と「ファ」が逆に鳴るという複雑な壊れ方をしていて、まともに触れることのできる身近な楽器はリコーダーくらいでした。リコーダーではティーンエイジャーの狂おしい心を満たすことはできません。

 楽器を弾きこなしたいという願いを未消化のまま抱えて、私は大人になりました。その間ずっと、自分の中には眠っている音楽的才能があるにちがいないと信じ続けてきました。子供の頃はピアノの素敵さがわからなかったがゆえに目覚めさせることの叶わなかった才能がまだ寝てる。寝てるだけで絶対才能ある。すごい才能がすごい寝てる。
 これといった特技もなにもなく生きてきた私は「機会がなかったせいで眠っているものすごい才能」というものに強いあこがれと希望を抱いていました。楽器に触れる機会から遠ざかれば遠ざかるほど、「やればできるんだろうなあ……」という想いは募っていきました。

 そして四年前、ついにピアノを買った私は、ピアノ教室を運営していた友人にお願いし、指導を受け始めました。「ピアノ教室に通う」という行為がとても音楽的に思え、それだけでわくわくし、自分の押した鍵盤がそれはもう美しい音を鳴らすことに感動しました。
 四、五回通って気がつきました。ピアノってめちゃめちゃ難しい、ぜんぜん弾けない、ということに。
 十年以上抱き続けてきた輝かしい才能のイメージがどんどん現実にチューニングされていく日々でした。いや、でもまだわからない、まだ寝てるかも、まだそんな決めつけるには早い大丈夫、としばらくは自分を誤魔化し続けてきました。しかし先日、今の部屋に住み始めてから初めて、仕事用のちゃんとした机を買いました(今までは這いつくばるように仕事をしていました)。うちにはもう新たな家具を置くスペースなどないのです。ピアノはやむなくクローゼットに仕舞われる運びとなりました。音楽的才能についての長年の妄想に別れを告げた瞬間でした。

 しかし私は「機会がなかったせいで眠っているものすごい才能」シリーズの妄想をまだまだ持っていて、今一番アツいのがゴルフです。ゴルフって一度もやったことがないので、絶対うまい気がするのです。テレビでゴルフをやっているのを見るたび、私のほうがうまいなーと思っています。賞金女王になりたいです。
 量子物理学的にはすべての事象は観測されるまで存在しないとのことなので、私がゴルフがふつうにできないという事象もまだ観測をまぬがれていて、つまり私が賞金女王になる可能性もまだあると信じています。絶対あります。

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渡辺優(わたなべ・ゆう)
1987年宮城県生まれ。宮城学院女子大学卒業。2015年『ラメルノエリキサ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『自由なサメと人間たちの夢』『地下にうごめく星』などがある。
Twitter:@watanabe_yu_wat
イラスト/内山ユニコ(うちやま・ゆにこ)
北海道北見市出身、東京都在住。20代の終わりより作品制作を始める。花田菜々子著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』のイラストなどが話題に。
オフィシャルサイト:http://www.vesicapisis.com
Twitter:@YUNICO_UCHIYAMA
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