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平成最後の日|村山由佳 第30話


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 天皇陛下が退位なさるのをこの目で見るのは初めてだなあと思ったら、譲位はなんと二〇二年ぶりだった。前回は文化十四年(一八一七年)だそうだ。
 凄(すご)い。何が凄いといって、それだけの長い時を経てなお、古(いにしえ)の時代と同じ儀式を執り行うことができるというのが凄い。そして現代に生きる私たちは文明の利器のおかげで、その歴史的瞬間をリアルタイムで目に焼き付けることができるのだ。凄すぎる。
 ……などと興奮していたのに、残念ながら〈リアルタイムで〉は叶(かな)わなかった。平成最後の四月三十日、まさにその日の朝に、背の君の娘夫婦が初めて軽井沢(かるいざわ)へ遊びにやってきたからだ。
 そんならみんなでゆっくり観(み)ればよかったじゃないかと思われるだろうが、これにはちょっとした事情があった。
 父親から「チー」の愛称で呼ばれる彼女は、動物が大好きなのにかなり敏感なアレルギーを持っていて、毛のはえた生きものはもちろんのこと、部屋の中に牛の毛皮の敷物が敷いてあるだけでもクシャミが止まらなくなる。あらかじめ薬は服用してきたものの、生きた猫のいる、しかも五匹もいる我が家で、はたして無事でいられるかどうかは正直言って賭けみたいな状況だったのだ。
 しかも、
「たぶん行くって前から言うてたやーん」
 と、はっきり? 聞かされたのが前日だったので(まあそういうキャラである)、背の君はぶつぶつ文句を言いながらもこまめに立ち働き、家じゅうに掃除機と雑巾をかけまくり、娘夫婦の寝る部屋はとくに念入りに掃除し、布団を干し、埃(ほこり)を払い、枕カバーやシーツは全部新しく掛け替え……と獅子奮迅(ししふんじん)の大活躍だった。
「あのな、お前ら、ここがどこかわかっとんか。軽井沢やぞ」
 朝六時過ぎ、予定よりだいぶ早く無事到着した二人を前に、背の君は仏頂面で説教をした。
「よりにもよって、一年でいちばん混む連休めがけてわざわざ来んでええっちゅうのや、ほんまにもー」
「す、すんません」
 と夫のフウヤくんが恐縮する。いちばんの常識人はたぶん彼だ。
「えー、せやかて会いたかってんもーん」
 チーちゃんがあっけらかんと笑って答える。
「しょっちゅう会(お)うとるやろがい」
「おとーさんやないわ、猫にやん」
 父親が大阪へ帰省するたびに見せるスマホの画像や、NHKの「ネコメンタリー」などで我が家の猫たちとさんざん親しんできた彼女は、中でもとくに〈銀次(ぎんじ)〉のファンになったらしい。姿はそこそこ立派なのにオツムのネジはゆるい、そのあたりのギャップがいいのかもしれない。

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 薬が効いたか、それとも父の愛あふれる大掃除の成果か、幸いなことにアレルギー反応はほとんど現れずに済んでいるようで、若い新婚夫婦は猫たちとの触れ合いをきゃっきゃきゃっきゃと堪能し、もういいんじゃないかというくらい沢山の写真やビデオを撮影し、寝起きする部屋へ行く前にはお互いの服に付いた毛を粘着テープのコロコロで始末し合って、見ているこちらがくすぐったくなるくらい仲良く過ごしていた。
〈銀次〉〈青磁(せいじ)〉〈サスケ〉〈楓(かえで)〉の四匹は、一階の一部と二階とを好き勝手にうろついているけれど、身重の〈お絹(きぬ)〉だけは一階の奥、私たちの寝室兼リビングから出ることがない。彼女のお腹(なか)はたっぷりと大きく重たくふくらんで、猫を飼ったことのない若者二人が見ても、いよいよお産が近いとわかるくらいだった。
「もしかしたら、お前らのおる間に生まれるかわからんな」と背の君。「いつまでおる気か知らんけど」
「えっとあの、よろしければ五月三日くらいまでは、おらさしてもらいます」
 フウヤくんが答える。丁寧に言おうとするあまりちょっと文法がおかしいあたりが彼らしい。
「産む時って、前もってわかるもんなん?」
 とチーちゃん。
「さあのう。何時間か前からなんも食えへんようなるっちゅう話やけど」
「あとは、安心して産める場所を探してうろうろし始めるよ」と私は言った。「物陰とか、暗がりとか」
「由佳ちゃんは、猫のお産、見たことあるんやね」
「うん。〈もみじ〉が生まれてくる時にね」
 おおかた二十年前のあの晩は、母猫の〈真珠(しんじゅ)〉がわざわざ私を起こしに来た。ふだんは決して足を踏み入れない寝室に入ってきて枕元に飛び乗り、そろそろ産むけどいいのね、と教えてくれたのだ。

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「お絹ちゃんも、教えてくれなあかんのんよ」
「せやで。それと、僕らがおる間に産んでくれなあかんで」
 しゃがんで言い聞かせる若夫婦にはさまれて、お絹はそのつど〈うん?〉〈うん〉と、わかったようなわからないような返事をしながら機嫌良く喉を鳴らしていた。
 みんながお風呂を済ませて「おやすみ」を言い合った夜遅く、私はツイッターに、お絹が〈むふーん〉と満足げな表情をしている画像を添えてこう呟(つぶや)いた。

お絹さんは、産気づくどころか本日もモリモリ召し上がりましたので、しかも平成は残すところ一時間を切りましたので、お子らは令和生まれとなることがほぼ確定いたしました。

……なにその得意げなお顔。

 それが、三十日の晩のこと。
 お皿に出しておいたキャットフードは、翌朝起きた時、一粒も減っていなかった。

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村山由佳(むらやま ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。
Twitter @yukamurayama710

村山由佳さんの猫三部作を書店で見る

※この記事は、2020年4月24日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。

※『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』の刊行に際して、姜尚中さんとの対談が行われました。


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