村山由佳 猫がいなけりゃ息もできない 第2話「新しい生活の始まりはいつだって」
我が家は、信州の軽井沢にある。2009年に東京から移住した時点ですでに築17年だった建物は、もともと家具など大物のカタログなどを撮影するための写真スタジオ兼スタッフの宿舎で、こんなことを書くと嫌みに聞こえてしまうかもしれないが、正直、広い。ばかみたいに広い。初めて内覧に訪れたとき、ホールの天井の蛍光灯にバドミントンのシャトルが引っかかっていたのを覚えている。12LDK+体育館のような吹き抜けのホール、バスルームが2つとトイレが5つあった。廊下に面してずらりと並んだ部屋にはパイプベッドがいくつも収まり、ほとんどキャンプ場のような趣だった。
そこを、住居としてリフォームするのに半年かかった。間の壁を抜いて部屋を大きくし、必要のないバスルームやトイレはつぶし、厳しい冬を快適に過ごせるよう床暖房を入れた。
東京・浅草から引っ越してきた当初、猫はまだ〈もみじ〉と〈銀次〉の2匹だけだった。
それが、7年後、私が二度目の離婚をするに至って、小さいのが2匹増えた。〈サスケ〉と〈楓〉の兄妹である。
そこへこのたび、父の愛猫〈青磁〉が加わることとなったわけだ。
何しろ、9年間ずっとひとりっ子だった青磁は、根は甘ったれだが父以外の誰かに甘える方法がよくわかっておらず、ラグドール(縫いぐるみ)という名前のくせに抱き上げようとするとシャーッと威嚇の息を吐いて暴れる。偏屈で凶暴。むら気で短気。
それでも、唯一の家族だった父がもう、どれだけ待っていても帰ってこないことがわかるのか、こちらが声をかけると、手近なものに頭をすりつけ、床に転がり、もの狂おしいほどに全身で慕わしさを表現するのだった。それなのに、手を伸ばして撫でようとするとシャーッなのだった。
せつなかった。できることなら何とかしてやりたかった。うちの子たちのように、晴れた日にはベランダへ出てヘソ天で日向ぼっこをしたり、手も足もばらばらに投げ出して眠ったり、家じゅうを走り回ってじゃれ合ったりさせてやりたかった。威嚇の息を吐かなくたって、自分に害をなす者なんか誰もいないんだということを、彼自身が納得できるだけの時間をたっぷりかけて信じさせてやりたかった。
村山家の猫たち、総勢5匹。
新しい生活の始まりはいつだって、わくわくする気持ちと、同じ分量の不安とが背中合わせだ。
※本連載は2018年10月に『猫がいなけりゃ息もできない』として書籍化されました。
※この記事は、2017年8月25日にホーム社の読み物サイトHBで公開したものです。