
驚きを食べる|斧屋「パフェが一番エラい。」第22話
Instagramでパフェの画像を漁りつつ、今度はどこのお店に行こうかなどと考える。「#パフェ」というタグだけでも一日に数千件の投稿はありそうな勢いで、インターネット空間にはパフェ情報が溢れに溢れている。うれしいことではある。
しかしそれは、あらかじめパフェがどういうものかを自然に「予習」してしまうということである。いつしか、あらかじめ内容が分かったパフェを食べるようになっている。ともすれば、決まったストーリーをなぞるようにパフェを食べるということにもなりかねない。
パフェのお店に対して、「メニュー写真と実物が違う」というクレームがそれなりに多いと聞いている。この不満は、できるだけ美しく「映える」パフェの写真を撮りたいという欲望からも来ていると思われるが、根底には予定調和を求める心がある。思った通りのものが出てきたという、安心感がほしいのである。
ついつい「予習」をし過ぎるのも、がっかりしたくないからである。せっかく食べに行くなら、失敗したくない。かけた労力が無駄に終わることを恐れる。つまり、マイナスを減らすことを念頭に置いている。
さて、パフェの写真をメニューに載せない店がある。イラストや構成図を載せる場合もあるし、高級レストランのように文字だけで説明する場合もある。どんなパフェなのか分からずに注文する。目の前に降臨した瞬間、歓声が起こる。知らなかったことによる、驚きと感動がある。
Instagramで「予習」してしまうと、驚きはなくなってしまう。意図せず、自然に画像が目に入るということもあるかもしれない。お店側は、こうした「ネタバレ」を緩やかに禁止することもある。「限定のパフェを提供している期間は、SNS上への投稿は控えてください」。
写真ではパフェの中身が分からないような演出が施されたパフェもある。数年前より、薄く平らなメレンゲで蓋をしたり、クレープ生地でグラスを包むようにしたりして、中が見えなくなっているパフェが増えてきた。あるいは、色付きのグラスを用いたり、グラスの内側からクリームを塗ることで、中身が透けて見えないパフェもある。写真だけでは分からない、食べてみないと分からないパフェである。わくわくするではないか。
隠すよりさらに積極的に、パフェがだますということもある。
上野毛の「ラトリエ ア マ ファソン」。かつて町田で「パフェの聖地」と呼ばれた店で独創的なパフェを生み出してきた森郁磨シェフが昨年末にオープンしたパフェの専門店である。今年春に提供されたのが、「トロンプルイユ仕立てのパフェ」(正式名はもっと長い)(注1)。「トロンプルイユ」はフランス語で「だまし絵」の意味だ。画像を見て分かるように、赤と白のいちごが美しく盛り付けられたパフェである。よく見てほしい。あれ、変ないちごがある。精巧に作られた偽物のいちごが混じっているのだ!(注2)
鏡の上に置かれた、およそパフェの器とは思えない立体。そのイメージが鏡に映って増幅するとき、このパフェは虚実のあわいを描いた芸術として立ち現れてくる。一体何が本当で、何が嘘なのか。光が反射して永遠に増幅を続けるのと同じように、情報の乱反射の中で、我々は何を本当と見なすべきか、どのように本当にたどりつくべきか。
「知らないこと」と「知ること」のどちらも選べるという場合、「知ること」を選びたいと、その方がいいと、現代人は思いがちである。そして、多くのことはとりあえず知ることができる。だからこそ、「知らない」という寄る辺のなさに人は不安になってしまう。難儀な時代である。
未知の対象に驚くことを怖いと思うか、楽しいと思うか。
私は、心底驚かされたパフェほど、いつまでも記憶に残っている。
※注1:メニュー名を積極的に明かしているお店ではないので、あえて正式名は記さない。
※注2:実のところ、残念ながら私はこのパフェを「知っている」状態で食べに行った。それでもなお強く心を打たれるのだから、知らないで食べに行ったら、その感動は何倍にもなっただろう。
▲ラトリエ ア マ ファソン「トロンプルイユ仕立てのパフェ」(すでに今年の提供は終了しています)
つかれて楽しい嘘もある。
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斧屋(おのや)
パフェ評論家、ライター。東京大学文学部卒業。パフェの魅力を多くの人に伝えるために、雑誌やラジオ、トークイベント、時々テレビなどで活動中。著書に『東京パフェ学』(文化出版局)、『パフェ本』(小学館)がある。
Twitter:@onoyax