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第16話 日やそのほかのすべての星を動かす愛に|佐藤友哉「青春とシリアルキラー」【最終回】

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 人生の序盤で道を踏みはずした僕は目を覚ました。
 すでに朝食は用意されていた。パン。目玉焼き。ソーセージ。エポワスチーズ。そして牛乳。
 僕は牛乳なんて飲み物じゃないとつねづね主張しているのだが、我が家の料理番である母親は、なんど云っても理解してくれなかった。
 パンで牛乳を押し込むようにして食べてから、てきとうな服に着替えて外に出た。さて、どうしよう。僕には時間があったけれど、あるのはそれだけで、あとはなにもなかった。とくにカネがなかった。税金、車のローン、そして母親がおつきあいで勝手に加入した僕の生命保険を支払ったら、一文銭すら残らない。
 壊れかけの自転車にまたがり、よく舗装された広い道を進む。
 ここは目をつむったまま走っても平気なくらいの田舎町で、僕のふるさとだった。せっかく先進国に生まれたのに台無しだ。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 だらだらと自転車を走らせていると、1人で歩く男子高校生を見かけた。登校と呼ぶにはいささか遅すぎる時間帯だが、男子高校生はのんびりしたペースで歩き、そんな彼の足取りの先には僕の母校があった。
 高校を卒業すれば地獄が終わると思い込んでいたのだが、レイヤーが移行しただけで、地獄は地獄のままだった。僕はこの町からも、実家からも出られずにいた。もっとまじめに勉強しておけばよかったと後悔している。そういえば英語のテストで、いつも愚かなことをやっているクラスメイトが、自分よりいい点数をとったのを見たときは絶望したものだ。高校にはそんな思い出しかない。
 デパートに入った本屋や、品ぞろえの悪い古本屋をはしごしているうちに昼になった。家に帰れば母親が昼食を作ってくれるだろうが、また牛乳を飲まされるのもいやなので、ゲームセンターで200円だけ使って時間をつぶした。そのうちに下校中の高校生を見かけるようになった。僕は自転車を駅に向けて走らせた。
 改札の前に彼女が立っていた。
 彼女はずいぶんと奇妙なことをしていた。両目を見開いたり、細めたり、さらには眼球をくるくる回したりしながら、反対側の壁に貼られた時刻表をにらみつけているのだ。いったいどのタイミングで声をかければいいのか、そもそも声をかけるタイミングがあるのかもわからなかった。
 幸い、彼女はこちらに気づいて、「あ、早いね」と云って両手をぱっと広げた。
「なにやってるの」
「視力回復トレーニングだよ」
「それは思いもよらなかった」
「でしょ」
 そう云って笑った。
 制服のリボンがわずかに揺れた。
 彼女はここから電車で1時間かかる私立高校にわざわざ通っていた。そこは僕の母校とはドングリの背比べの偏差値なのだが、この町にはドングリしかいないので、わずかなポイントの積みかさねが将来の役に立つ。事実、今日までゼロポイントでやってきた僕には、壊れかけの自転車があるだけ。
 駅の駐輪場に置かれた、そんなかなしい自転車を見て彼女は云った。
「車は?」
「修理中」
 嘘をついた。
 本当はガソリンを買うカネがなかったのだが、それを打ち明けるのは甘えではなく、もっとむごいことのように思えたのだ。
「自転車も修理したほうがいいよ」
 彼女は云った。
 自転車の荷台に彼女を乗せる。
 最初のうちは、自転車の2人乗りという、ベタすぎて今までやってこなかった展開が新鮮で、僕たちはけらけら笑っていたが、急な坂道にさしかかったとき、少なくとも僕から笑顔が消えた。目的地の図書館は長い坂の上に建っていた。2人乗りの自転車は重く、そのうち脚に乳酸がたまってきた。
「たっ、たしか、江藤淳は」
 僕は息を切らして云った。
「自分はうしろに乗って、それで、女友だちに自転車を漕がせたんだって」
「だあれ?」
「さあ。僕もよく知らなくて……ああもう限界!」
 坂の途中で足をついた。
 結局、いっしょに自転車を押して坂を登った。
「最初からこうすればよかったね」
 彼女は笑った。

 図書館に到着。
 正面玄関を入ってすぐ脇にある休憩室には、大きなソファと古いカップ式自動販売機が置かれていた。
 彼女は大型犬にでも飛びつくようにしてソファに埋もれ、僕はそんな彼女にレモネードを買ってやる。休憩室は僕たちのほかにだれもおらず、無音だった。彼女がレモネードを流し込む音がよく響いた。喫茶店もハンバーガー屋もなく、さらにはリテラシーもない町で、図書館の休憩室はちょっとした穴場だった。僕たちのほかに休憩している人を見たことがなかった。
 休憩室のかたすみにはガラス張りの展示コーナーがあり、そこには地元の幼稚園児たちが色画用紙で作った、『まちのれきし』というかわいらしい案内文字が貼られていた。ガラス板の向こうには出土した石器やヒスイ、狩猟時代の暮らしの想像図、戦時下の風景を切り取ったモノクロ写真などがならんでいた。
 レモネードを飲み終えた彼女は、紙コップをくしゃくしゃにしながら、『まちのれきし』に視線を向けていた。といっても歴史に興味があるわけではないようで、再放送のアニメでも見ているときのようなけだるさを漏出していた。
 僕は彼女の隣に腰かける。
 彼女は小さくあくびをした。やわらかな空気がただよい、こちらも眠くなってきた。
 そうして2人で、『まちのれきし』を見るともなく見ていると、彼女が不意に、といっても唐突な感じのないおだやかさで手をのばして、僕の指をいじりはじめた。
 最初、彼女が甘えていると思った。しかしそうではなく、僕を甘えさせてくれていることに気づいて愕然とした。
 いったいなんてことをするのだろう。気恥ずかしさよりも混乱が勝る。
 僕はできるだけ指から意識を遮断するために、「でもまあ、あれだよね」などと云いながら、
「やっぱりさ、車がないとこまっちゃうよね」
 どうもむかしから、僕は自分から弱点を公開することで目の前の状況をごまかそうとするくせがあった。ほめられたものではないが、僕なりの兵法だった。
 いっぽう彼女は、僕の指をいじったまま、
「ん。どうして?」
「ほら、約束したでしょ。みんなで海に行くって話だったから、車がないとこまるかなって」
 そうなのだ。彼女と、彼女の友人たち数名と、僕の車で海に行くという約束をしていたのだが、ガソリンすら買えない状態なので、しばらく待ってもらうほかない。
 彼女は短く息を吐いて、「うーん」と云ったあと、
「べつに行かなくていいよ」
 予想外な返答だった。彼女も海に行くのを楽しみにしていたはずだったが。
 僕は彼女の顔をのぞきこみながら、時間をかけていくつかの単語を引き出した。それを要約すると、彼女の友人たちが僕の車を目当てにしている節があり、最近それがどうにも気に入らなくなってきているらしいのだ。
 年齢的に運転免許証を持っているのは僕だけなので、みんなでホームセンターやらボウリング場やらに遊びに行くときは、たしかに僕が車を出していたが、田舎町は車がないと移動が大変だし、僕だってみんなに遊んでもらっているわけだし、友情の中にも打算、もう少しやわらかな表現を使えばギブアンドテイクというものはあるので、まったく気にしていなかった。
 そんなことよりも僕は、彼女が指をいじってきたときと同質のおどろきに包まれていた。こんなふうに他人から思いやりを発揮される経験があまりなかったこともあり、適切な対応が思いつかない。
 それでも、愛おしいと感じることはできた。僕の中にある「愛おしい」と、世間のそれとが合致している自信はなかったが、自分のことをここまで思ってくれる相手がいるのは素直にうれしく、凝り固まっていた感情が、子供のなめるキャラメルのようにふにゃふにゃと甘くやわらかくなっていく。
 僕は彼女と指をからめたまま、あらためて展示コーナーにならぶ『まちのれきし』に目をやった。
 そこには土器の破片があった。土器の文様についての説明文があった。ファニーな土偶があった。ヒスイで作られた勾玉や首飾りがあった。遺跡で見つかった鉄製の錆びた刀があった。湖でとれる美しい魚の魚拓があった。鉄道や飛行場の紹介文があった。戦後の基地経済に浮かれた町の写真があった。ビアホールで浮かれ騒ぐ米兵たちの写真があった。
 僕が生まれる前から、この図書館に『まちのれきし』のコーナーが作られる前から、町の歴史というものがあることは知っていた。知っていたが、それは僕とは関係のないものだった。
 今だってそうだ。僕はこの町を愛していないし、捨てたがっている。ここが隣町と合併して名前がなくなっても、隕石が落ちてすべて焼き尽くされても、僕は鼻歌交じりでそれをながめているだろう。ここは自分のふるさとだが、僕から云わせてもらえば、なぜここがふるさとなのかという絶望がずっとある。僕の時間と町の歴史が溶け合うことはない。
 だとしても、今この瞬間だけは、このまま彼女といっしょに町の歴史の一部になるのが、そう悪いことでもないように思えた。
 彼女はとても若いのに、おばあさんになったら縁側でお茶を飲みたいとか、おばあさんになったら小さな犬を飼いたいとか、自分が年老いたときの話をよくする。なぜいつもそんなことを云うのか今まで理解できなかったが、このような感覚の中でならわかる。彼女は最初からふるさととつながっていて、自分の老後をごく自然にイメージできているのだ。いっぽうの僕は、ふるさとと自分が接続するイメージがわかなかった。
 ひょっとしたら僕は、今こうして彼女に甘えさせてもらっているように、ふるさとに甘えさせてもらいたがっていたのかもしれない。当たり前のように町と一体化して、町の歴史のささやかな記録となる。その仕組みは単純だ。この町で結婚して、子供を作って、労働して、家のローンに頭を悩ませて、そうしてドングリみたいな同僚と生ビールでも飲んで、「結婚さえしなければ、俺だってデカイ一発を世間におみまいできたんだけどなあ」などと、くだを巻く人生を送ればいいだけだ。終わった人生だ。でも案外と僕は、そういうことを求めていたのかもしれない。

 それは突然だった。
 休憩室に少女が入ってきた。
 どこかで見たことのある少女だった。それは、その人が僕の母校の制服を着ていたからだけではなく、本当に見覚えがあった。ごく最近まで頻繁に見ていたはずの顔なのに、だれなのか思い出せない。
 正体を見極めたくてこっそり観察しても、髪のつやとか、引き締まった足首とか、爪のかたちといった細部はよく見えるのに、顔だけは、厳重なセキュリティロックでもかかっているように曖昧だった。観察すればするほど、かえってわからなくなっていくのだ。どうして僕の観察を拒絶するのだろう。
 その人は、ソファに埋もれる僕たちには目もくれず、浮いているような調子で歩いた。そうして自動販売機の前に立つと、迷うそぶりもなくホットコーヒーを買った。僕は自動販売機で迷わずにボタンを押す人に惹かれすぎる性質があり、それもあってなおさらその人に興味をそそられた。
 いきなり耳に息が吹きかけられ、おどろいて目をやると、彼女の寝顔があった。僕の肩にもたれて寝息を立てていた。昨日生まれた赤ちゃんでもあるまいし、こんなことははじめてだった。休憩室に入ってきたあの少女が魔法の鱗粉をばらまいて、その効果で眠りに落ちたのではと思いたくなるほど奇妙なできごとだった。
 僕は視線を戻す。
 ホットコーヒーを手にした少女は、あの浮いているような独特の歩き方で近づいてきていて、とうとう僕の正面に立った。
 逃げられない。
 本能でそれを悟った。
 不安と緊張で胸が痛くなったが、はたして痛みの理由はそれだけだろうか。痛みの中にノスタルジックな成分がふくまれているような気がしてならない。それは若く美しいまま死んだ母親と夢の中で再会したときのような……べつにそんな経験はないけれど……永遠にしまっておきたくなるような清らかで懐かしい心地だった。つまり僕は、いやな気分でもなかったのだ。
 僕はほとんど惹かれるようにその人の顔を見上げたが、やはりよくわからなかった。
 それでも僕をじっと見下ろしていることは理解できて、やがてその人はだしぬけに言葉を発した。
「結婚するのが恥ずかしいの?」
 そうかもしれない、と僕は云った。
「その子と結婚するのが恥ずかしいの?」
 そうかもしれない、と僕は云った。
「テストで満点をとったことがある?」
 僕は少し考えて、小学生のころはあったけど中学以降はほとんどなかったと答えた。
「私、頭がいいの。塾に行く必要もないの」
 僕はなにも云わなかった。
「それと私、自分の価値は自分で担保しているから、つまらない男とつまらない町で結婚するのも平気。つまらない子供を産み落とすのも平気」
 僕はなにも云わなかった。
 その人はさらに一歩近づく。
 僕の目の前に、その人の膝頭があった。それはじつに美しいかたちで、おおよそ膝頭に見えなかった。どうして膝頭はこんなにはっきり見えるのに、顔は見えないのだろう。いや、思い出せないのだろう。
 その人は質問をつづける。
「今まで生きてきて、おもしろいことはあった? なにかニュースを聞かせて」
 おもしろいことなんてなかった、と僕は答えた。
「そういえば最近、カルガモの親子のニュースを見ないけど、絶滅したのかもしれない。カルガモのお母さんは、子殺しするって知ってた?」
 知らなかった、と僕は云った。
 そのうち僕の視界が、輪郭をうしなったようにぼやけはじめた。
 はっきり見えていたその人の膝頭もぼやけ、ただでさえはっきりしなかった顔にいたっては深い霧の中にあるような状態で、『まちのれきし』のコーナーも、隣で眠りつづける彼女も、本来は見えるはずのない数々の粒子も、すべてが安定をうしない、さらには空気もぼやけてしまったのか、その人の発する声が水中で聞くようにぶくぶくと水っぽいものになった。
「社会の敵になる方法を教えてほしい?」
 そんな必要はない、と僕は云った。
「私と結婚したい?」
 そんな必要もない、と僕は云った。
「私、『神曲』を読んだの。おどろいたのは、神への反逆者たちを、ダンテがとてもすばらしく描写していること。カパネオやファリナータは地獄に落ちたあともずっと、誇り高い態度で神に逆らいつづけていて、みんな、全然、負けたように書かれていないの」
 こんなことがあるわけないと思った。
 この町に、『神曲』の感想を話してくれるような都合よくすばらしい人がいるわけないと思った。
 ひょっとしたら……こんな人間はいないのでは?
 実在しないのでは?
 では僕の目の前にいるこの少女が何者かといえば、そんなのはわかりきっている。
 初恋の相手とか、僕の人生を通過しただけの人とか、妄想とか、願望とか、そういったものの集合体。空想の中にだけこっそり存在できる不安定な概念。いくつもの伝説をかき集め、パンでも作るようにていねいにふくらませて育ったイメージの集合。金太郎と2人で山に隠れ住む美しい母親。肖像画に描かれる臈(ろう)たしジャンヌ・ダルク。青春時代の輝けるナイチンゲール。女神。淑女。なにかそういうもの。
 ベアトリーチェ。
「知ってた? バーコードをスキャンするときって、白い部分を読み取っているの」
 これが自分のベアトリーチェだとしたら、ちょっとぎゃふんだった。
 僕はどうやら今、実在しないものと対峙しているらしい。
 むろん、そんなことが現実世界で可能なわけもなく、ならば僕はフィクションを体験しているということになる。僕の思考や、これまでの人生をもとにして作られた創作を体験しているということになる。
 つまり夢を見ているのだ。
 では、この夢を見ている僕ははたして何歳だろう? ひょっとしたら大人になっているかもしれない。30歳や40歳になって、この町から出て、好きなことをやっているかもしれない。ならばそのとき、僕の肩に寄りかかって眠っている彼女とはどうなっているだろう? 別れているだろうね。ごめんよ。何年遅れ、あるいは何十年遅れで、僕はようやく謝った。最後に彼女の顔をもう一度だけ見ようとしたが、視界はいよいよ曖昧になってもうなにもわからない。
 僕のベアトリーチェもなにか云っているが、それもうまく聞き取れない。
 夢の時間が終わろうとしていた。
 ここにいるみんなとは、もう永遠に会うことはない。たとえ似たような夢を見ることがあっても、それはまったくの別世界だ。そう思うと悲しくなった。
 ひときわ大きな崩壊がやってきて、夢の時間が本当に終わろうとしていた。あらゆるものがかたちを喪失し、影をなくし、もといた場所に還ろうとしている。僕もまた現実に還ろうとしている。
 さようなら。
 すると、まだかろうじて僕の前に立つその人は、餞別でも贈るように、自動販売機で買ったホットコーヒーを差し出した。
 僕はそれを受け取る。
 すでにかたちはなく、熱さだけが情報となって届いた。

「書かないって、どういうことだ」
 阿南さんの声が裏返ったのをはじめて聞いた。
「どういうことって、書かないは書かないですよ。ほかにありませんよ」
 僕はスマートフォンを耳に当てながら答えて、そっと振り返る。
 自宅のキッチンでは、妻と息子が作業していた。
 2人はなにやら楽しそうに話しながら、おせち料理に使うエビの背わたを取っている。ストーブの前では、飼い猫がだらしなく眠っている。それは12月31日によく見られる光景なのだろう。しかし僕はそのシチュエーションを不自然なものだと感じていた。妻はいつも忙しくしていて、子供とのんびり料理をしているという年の瀬の映像に、まだ慣れないのだ。
 さてと。
 僕は小説家だから、ここで妻の紹介をしなければという職業的倫理観にさいなまれている。
 でも、まっとうな小説なら、そもそも最終回になって妻をやっと登場させたりはしないだろう。妻の職業とか、妻の趣味とか、僕と妻との馴れ初めとか、そういったデイヴィッド・コパフィールド式のくだらない情報を序盤からさりげなく仕込むのが、正しい小説の作法なのはわかっているが、でも僕はそんなことを書きたくなかったのだ。最初から。
「妻のことは書きません。そう決めたんです」
 というわけで僕はあらためて云った。
「大晦日に電話してくるから、なにか問題でもあったのかと思ったが、たしかにこれは問題だな」
「なんかすみません。ギリギリで方針を変えちゃって」
「俺はいいが、きみはどうなんだ。妻のことを書くと、連載中にあれほど予告していたのに」
「まあねえ。そこなんですけどねえ」
「妻をちゃんと登場させて、そのうえで主人公を救うと宣言していたのに」
「でもそういうのって、寒くないですか? 妻との問題に向き合って大団円って、あまりに小説的すぎるというか、起承転結すぎるというか……。いくら連載の最終回だからって、できすぎていて退屈じゃないかなって思ったんです」
「きみの今の説明だって、できすぎていてつまらん。で、まさかそれが、書かない理由じゃないだろうな」
「理由の1つではあります」
「きみがこれから書くのは、実在するきみの妻ではなく、あくまで『青春とシリアルキラー』に出てくる主人公の妻だ。だれにも忖度する必要はない。もしきみが、奥さんに気を遣ってプランを変えたのだとすれば……」
 次の言葉がやってくるまで、わずかな間があった。それは、煙草を喫おうとしたけれどここが自宅であることを思い出してやめるまでの間だ。
 この電話の向こう側にいる阿南さんにもまた、家があり家族がある。
 今は大晦日の午後。大掃除も終わって家族全員でのんびりしているころか。あるいは夕飯の買い出しにパパを使おうとしていたのかもしれない。
 ややあって阿南さんは断言した。
「もしきみが、現実に屈服して小説のプランを変えたのだとすれば、俺はそれは逃げだと思う」
「阿南さんは自分のことを、小説のネタに使われた経験ってあります?」
「あるもなにも、この連載できみに使われているじゃないか」
「ネタに使われたときって、どんな気持ちですか?」
「俺の気持ちなど関係ない。モデルにされたところで、それは俺自身じゃないからな。ダンテは『神曲』の中に、多くの実在人物を登場させたが、しかしどれもダンテの妄想であり、本人とは無関係だ」
「そんなふうに割り切れます? 本当に?」
「どんなに現実を盛り込んだところで、書かれたものは結局はフィクションだというのが俺の考えだよ。だから、きみがなにを書いたとしても、小説の中にきみの本当の奥さんが出現することはないんだ。そもそもきみは、『青春とシリアルキラー』はエッセイじゃなくてフィクションだと、自分でそう云っていたはずだろ」
 そのとおり。

 この物語はフィクションです。

 登場する人物・団体・名称等にモデルがあっても、作中の時系列と現実がシンクロしても、事実をそのまま使ったところがあっても、それでもやっぱり『青春とシリアルキラー』はフィクションです。
 もう少し正確な表現をすれば、「実際にあったできごとをもとにした作品」です。
 このような手法で作られる物語というのは、なにもテレビドラマだけではなく、古来から無数にある。歴史的事件から三面記事、ちょっとしたスキャンダルから痴話喧嘩に至るまで、フックのある史実というものは、いつの時代もフィクションのネタにされてきたし、消費者もまたこの手のジャンルに飛びつく傾向があった。
 わかりやすい例をあげれば、三島由紀夫の『金閣寺』は、実際に起こった金閣寺放火事件を下敷きにしているが、三島はけっして資料の奴隷にはならなかった。骨格は実際の事件を使っているものの、犯人である徒弟僧の動機や心理描写といった、作品において重要と思われる部分の多くに、フィクションというエッセンスをたっぷりと、しかしさりげなくふりかけた。読者はそれを歓迎し、はたして『金閣寺』は三島由紀夫の代表作となり、ロングセラーとなっている。

 なぜ作り手は、「実際にあったできごと」をネタにするのか?
 なぜ受け手は、「実際にあったできごと」がネタだと惹かれるのか?
 理由は単純で、「実際にあったできごと」が持つエネルギーを、どちらもが求めているから。

 そう、「実際にあったできごと」にはエネルギーがある。
 人の心をほとんど自動的に盛り上げ、興味を引き、興奮で満たす異様な活力がある。
 怪談や映画の前置きに、「これは本当にあったお話です」とか、「実際の事件をもとにして作られました」とかいった一言がやたらと使われるのは、事実という重みが作品に深みとリアリティ、なによりも関心をあたえるからだ。物語における起爆剤。ふやけたストーリーにアリナミンV。歴史という薪をくべて、創作の焚火を燃え上がらせろ。
 でも、よく考えてほしい。
 それって、歴史改変じゃないか?
「べつにそれくらい普通でしょ」と思った人がいたら、デトックスをおすすめしたい。「実際にあったできごと」をネタにして作ったフィクションは、その構造上、史実と創作の境界を曖昧にすることで体験者に感動や興奮をあたえるため、長いこと浴びつづけていると、心身の健康をそこなうおそれがある。月並みな表現を使えば、仮想と現実の区別がつかなくなる。ナチスを題材にした作品がときおりきびしく批判されるのは、そのような混乱が、歴史修正主義や反道徳的思考につながるからだ。
 これは僕が高校時代の話だが、あるとき、どういうわけか授業で『シンドラーのリスト』を見ることになり、ふだんは馬鹿なことばかりやっているクラスメイトたちが、アウシュビッツの場面をやけに真剣に鑑賞しているところを見てぞっとした。こいつら真に受けていると思った。いや、真に受けたがっていると思った。その瞬間、僕は卒然と気づいた。
 みんなが求めているのは、真実ではなく真実味なのだと。
 真実味がほしければ、「実際にあったできごと」からもぎ取ってくるのが一番。
 そこに創作をくわえれば、真実味は増加する。
 もちろんそんなことをすれば真実からは遠ざかるが、真実なんて最初からだれも興味ない。
 つまりそういうことなのだ。「実際にあったできごとをもとにした作品」を楽しむというのは、創作という甘ったるい蜜のかかったブーツで歴史を踏み潰し、そこから飛び出る苦い汁と蜜がちょうどよくブレンドされたものを飲み下すことなのだ。
「実際の事件を参考にしたけれど、あくまでモチーフとして使ったにすぎなくて……」
「インスピレーションをもらっただけで、事件そのものにはあまり関心がなくて……」
「フィクションを交ぜることで、事件の全容がよりはっきり見えるようになって……」
 小説家や映画監督のみなさんが、なんかこういうことをインタビューでさかんに云いますよね。
 そんなの全部、おためごかしですよ。
 どんな弁明をしたところで、すべては史実をネタにした二次創作、ポルノですよ。
 僕はそれを否定するつもりはない。
 表現の自由は尊重しなければならないし、虚実が交ざりあった物語がもたらす快楽も知っている。
 でも、そんな危なっかしいところで、自分の妻の話をしますか?

「そりゃ、これがふつうの小説だったら話はべつですよ。でも『青春とシリアルキラー』は、僕の人生をネタにして書いてるわけですから、妻のことを変なふうに誤解されたら大変だし、現実にも影響あるかもしれないし……とにかく、書きたくありません」
 僕はスマートフォンを握りしめながら云った。
 阿南さんはすかさず、
「だったらいっそ、きれいごとでまとめてしまうのはどうだ。これなら誤解されようもないし、きみの奥さんもいやな顔はしないだろう」
「冗談じゃないですよ。きれいごとだけで妻を書くなんて、そんなの、ただのセンチメンタリズムじゃないですか」
「『神曲』だって似たような構造だ」
「あっちは妻じゃないし、死んでるから問題ないんですよ」
 ダンテは『神曲』において、初恋の相手、ベアトリーチェを永遠の淑女として登場させているが、でもそれはダンテがベアトリーチェと会話らしい会話もしないまま死別したからこそやれる手法で、生きている人間、しかも自分の妻に向けて、うるわしき淑女がどうしたこうしたなんて書くのはどうかしている。
 僕は云った。
「いいですか、僕にはですね、ベアトリーチェじゃなくて、今を生きている妻がいるんですよ。キッチンでおせち料理を作ってる妻がいるんですよ」
「おせち料理、手作りしているのか?」
「ええ。ネット販売がどこも売り切れで」
「まめな奥さんだな」
「このあと僕も手伝いますよ。子供といっしょにブリと鶏肉を焼くんです」
「まめな家族だな」
「馬鹿にしてます?」
「家庭の幸福を愚弄するほど俺は下品ではないよ。ダンテの家だって、年末には家族でケーキを焼いていたかもしれない。まあ、確証はないがな」
 阿南さんは少し考えてから、
「というのもダンテの妻は資料が少ないので、夫婦仲については今もよくわかっていないらしい。しかし、ダンテが政治的に失脚したとき、ダンテの妻は態度を変えたかもしれない。だからこそダンテは、妻ではなくベアトリーチェに心の平穏を求めた可能性もある……ああ、本当にそうかもしれない。ダンテが『神曲』を書きはじめたのは、彼が追放されて妻や子供から引き離されたときだ。ダンテにとって創作のミューズは、妻ではなかったかもしれないな」
「いや、僕はそんな話に乗る気はありませんからね。っていうか、創作の責任まで妻に押しつけるのはよくないと思いますけど」
「でも事実だろ。俺たちは自分の存在価値を妻に担保してもらっているわけだから、妻がミューズか否かというのは重要な問題で……」
「そんな話はしませんって」
「俺たちが妻によって救われている以上、妻の効能というものを正しく把握……」
「そんな話はしないし書かないって云ってるんですよ」
 僕はキッチンで料理をする妻と息子の様子をうかがってから、「世の中には、書く理由っていうものがあるんでしょうけど、書かない理由だってあるんです」と、なるべく小声で云った。
 主張も声のボリュームも適正だったが、適正でないところがあったとすれば、このあとの言葉がひどく長かったことと、いささか攻撃的だったことだろう。
「妻の効能とは、おそれいりましたよ。僕は効能についてはちょっとうるさくて、映画の1本くらい撮れるほどくわしいですけども、でもそんなことは話題にもしたくないんです。いいですか、もし僕が『青春とシリアルキラー』の中で、べつにとくに悩んでないけど、妻との関係に悩んでいるとか、その具体的な内容について書いたら、書評のプロだろうと、走り読みのプロだろうと、『作者が本当にそれについてこまっているという設定』で読もうとするんですよ。だって連中は、真実より真実味をほしがってるわけですからね。そんなおそろしいところで、なんだってわざわざ、自分の妻の話をしなきゃならないんですか。あと、さっき阿南さんは、きれいごとだけ書けばいいとか云ってましたけど、そうやったとしても、妻がモデルということは変わりませんし、そうである以上、書かれたことに対するリアクションは、じつは僕じゃなくて妻が請け負うことになるんです。わかります? 妻がかかえる問題になるんです。あと僕はなんでもすぐ忘れるけど、妻はそうじゃないかもしれない。だからもしかしたら、僕が『青春とシリアルキラー』で妻について書いたという事実や、そのときのまわりからのリアクションなんかを、一生おぼえているかもしれない。そうなったら僕は今後、妻に恨まれたり悲しまれたりしたまま生活しなきゃならないわけですが、このとき、だれか責任とってくれるんですか? 妻の話をしたせいで家庭が崩壊したら、だれか弁護士費用を払ってくれるんですか? 居酒屋に朝までつき合って僕の背中をばんばん叩いたりしてくれるんですか? サンドイッチと水筒を車に詰めこんで気の利いた海岸に向けてドライブしてくれるんですか? いないでしょそんな人。わかってますよ。いないんですよ。そんな人はいないに決まってるんですよ。それをわかっているから、誤解されるようなことは書かないって云ってるんです。僕はダンテみたいなセンチメンタル詩人でもなければ、昔の文豪みたいな破滅型でもありません。妻といっしょに今を生きて、いっしょに生活してるんだ。自分の小説より自分の人生が大事なんだ。だからなにも書かないんだ。いいですか、僕は今、とても感傷的な話をしてるんですよ。なにも書かないなんて、そんなの、とても感傷的な人間じゃなきゃ云えませんからね。なので、感傷的ついでにもうちょっとだけ云いますけど、僕が書いたり書かなかったりすることを邪魔したり、僕が書いたり書かなかったりしたことを誤解するやつがいたら、ひょっとしたら、そいつをぶっ殺すかもしれない」
 そこのところで僕は口をつぐんだ。
 大爆発を起こしたというほどではなかったけれど、品位に欠けた発言が多かった気がする。
 心拍数が上昇していくのを感じた……いや、しゃべっているあいだからすでに上昇傾向だったかもしれない。口は乾き、スマートフォンを握る手はひどく汗ばんでいた。後悔が押し寄せる。視界が暗い。
 こんな調子になってしまったものだから、阿南さんが発した思いがけない一言によって、僕がどれだけ元気づけられたか、まったくはかりしれないくらいだった。

「ああそうか。きみは今、幸せなんだな」

 阿南さんはそれをやっと理解したような口調だった。
 かくいう僕もまた、それをやっと理解したような気分だった。
 そうか。僕は幸せだったのか。幸せだったから、それを壊したくなくて妻のことを書かなかったのか。この暮らしを守りたくて致命的なことはなにも書かなかったのか。長いこと連載していたのに、ちっとも気づかなかったなんて、僕は本当に頭がにぶい。いろんな人を無自覚に傷つけてきた若いころとなにも変わっちゃいない。
 僕は幸せだった。
 最初からずっと。
 今から思えば、それについて僕は、この連載の第1回をはじめたときからすでにわかっていたような気がする。自分の仕事も、結婚して子供がいることも、あの時点で僕は誇らしく感じていたように思えてならない。僕は気づいていた。人生大満足で、ここが天国であることに気づいていた。ただそれを受け入れる勇気と、受け入れた以上は背負わねばならない責任から逃げ回っていたのだ。
 なので『青春とシリアルキラー』という連載は、暗い森をさまよっていた僕が、じつはそこが天国だったということを悟るまでのプロセスを……いけない。型にはまった、小説的すぎる書き方になっている。うまくまとめようとするな。そんなものはみんなイカサマだ。
 なにも僕は、偉そうな話を気取ったフォントで書き表したいわけではなく、素朴な実感をできるだけ素朴なまま書きたいだけなのだが、しかしこまったことに、同時にありがたいことに、それが失敗するのを確信している。なぜなら僕が伝えたいことは、ずっとくり返しているように、「書かない」ということに由来しているからだ。僕はあきらかに興奮していたし、またふたたび、とめどもない饒舌家になれそうだったが、とめどもない饒舌家の多くがそうであるように、いつかかならず破綻をきたす。お口にチャック。小さなころからよく云われていたその言葉を、今こそ実行するべきではないか。
 だからというわけではないが、僕はしばらくなにも云えなかった。
 時間だけがすぎていった。
 そのうちに受話口の向こうで、がちゃがちゃと音が鳴った。次いでライターを点火する音と、煙草の煙を吸い込む阿南さんの呼吸音。
「今、自宅を出たよ。煙草がないと、自分がなにを話しているのかわからなくなることがあってな」
 阿南さんはそう云ったあと、「きみ、『ショア』って映画を知ってるか?」とたずねた。
 あいかわらずといってはなんだが、いつもと変わらない口調だった。もうちょっとなにかあってもよさそうなものじゃないかと思った。
「……さあ。知らないですけども」
 僕は警戒しながら答えた。
「むりもない。マイナーな映画だし、9時間半ある」
「9時間半?」
「生き残ったユダヤ人やSSのインタビューをまとめたドキュメンタリー映画だ。ちなみにその映画の監督であるランズマンは、『シンドラーのリスト』を批判しているよ。なぜかわかるか?」
 ねんのためことわっておくが、阿南さんがここでタイミングよく、『シンドラーのリスト』を持ち出してきたのは、もちろんこれが、「実際にあったできごとをもとにした作品」だからだ。
「まあ、やっぱり、フィクションだからじゃないですか?」
 僕は云った。
「まあそういうことだ。どんなにすぐれた映画表現を使っても、アウシュビッツがなんであったかということは描けない」
「ですよね。あれは結局、スピルバーグのいつものエンタメですもんね」
「それもあるが、本物のアウシュビッツについて語れるのは、本物のアウシュビッツだけだ。そして本物のアウシュビッツなんてものはもうない。歴史とは重厚かつ不変なものなんかじゃなくて、その瞬間だけの刹那的なものにすぎないからな。だから史実の再現をこころみた時点で、それはもうフィクションなんだよ。それを知っているランズマン自身も、『ショア』はドキュメンタリーではなく、数々の演出を使用していると公言しているし、なにより『ショア』には、致命的な弱点があった」
「弱点?」
「だれもその映画を見ていない」
 本当に致命的だった。
 阿南さんは煙を吐いてから、
「退屈で、ストーリーもなく、そして9時間半。映画としてはスピルバーグに完全に負けている」
「あの……もし阿南さんが、『青春とシリアルキラー』のことを心配してそんな話をしてるんだったら、大丈夫ですよ。かんじんなことを書かなくても、ちゃんと面白い話にしてみせますから」
「きみの現実なんてものは、他人からしてみればすべて虚構だ。だからきみがなにを書いても、あるいは書かなくても、そんなことは関係なくあれこれ邪推するのが他人だと俺は思うがね」
「なにを云われても僕は書きません」
「そうだな。妻というのはこわいからな」
 阿南さんは云った。
 それはよく考えたら、突拍子もない発言というほどではなかったし、むしろ最適な返しとでも云うべきものだったが、僕は愉快になってつい吹き出してしまった。きっと少しうれしかったのだろう。なにがうれしかったのかは、妻にかんすることなのでここには書かない。
 僕はまだ少し笑いながら、
「とにかくラストまで終わらせますから、それで次の話をやりましょうよ。次の虚構もまたいっしょに作りましょうよ」
「たしかにそろそろ企画を立てなきゃならないな。来年は取材旅行に行くとするか」
「いいですね」
「新しいことをはじめるにあたって、やはり旅行は必要だ。旅に出るというのは、美少女に会いに行くのとおなじことだからな」
「ええと……なんの話ですか?」
「旅というのは日常からの一時離脱だろ。その種の期待を抱くのはかえって正しい」
「いや、全然正しくないですよ。ただの不純な発想ですよ」
 僕はおどろいて云った。
 しかし阿南さんは平然とした調子で、
「不純のなにがいけない。不純で、通俗的で、ロマンチックな思想に侵されることを、なんと呼ぶか知ってるか? ロマンを求めて不倫しまくったあげく、借金で自殺するボヴァリー夫人にかけて、ボヴァリズムと呼ぶんだ。ダニエル・ペナックというフランスの小説家は、ボヴァリズムこそ『小説の喜び』の基本であると云って、高く評価しているよ」
「阿南さんって、ずっと変わらないですよね」
「俺は青春を生きているからな」
「40歳すぎても青春ですか?」
「年齢は関係ない」
「ですよね」
 僕たちにとって、青春とは生きることと同義だった。
 青春は終わらない、というより、青春は永遠につづくといった具合だから、ちっとも美しい話ではなくて、むしろ、おぞましい。いつまでも青春がしがみついてくるのはグロテスクだし、実際、僕はそれが原因ではげしく疲れていた。他人にとってはどうでもいいことや、社会にとっては価値のないことにばかり頭を使っているし、それとは逆に、息子の学費の積み立てや、車の運転といったものは今もさっぱりできないし、むだな動きが多いし、好きなものは最初に食べるし……ともかく、こんなふうにいつまでたっても大人になれない自分自身に疲れていた。
 いつまでも中身が子供だからといって、その人が天真爛漫でいるとはかぎらない。自分の子供っぽさに疲れ果ててクタクタになってる人だっているということを延々と書いたものが、『青春とシリアルキラー』だったのかもしれないと今になって思う。
 僕の思考回路や基本姿勢といったものは、10代のころとなにも変わっていない。
 当時の自分と現在の自分は、身体的な変化のほかに、一切のちがいが見られない。
 終わっている。最低だ。疲れた。
 だが、変わったり成長したりしないことを青春の証拠とするならば、40歳になっても若いころのままでいる僕は、今もなお青春をすごしていることになる。やっぱりグロテスクだし、やっぱり疲労する話だけれど、結婚して子供ができたってなにも変わらなかったのだから、こういう人格なのだと受け入れるしかないし、自分の中から消えることのない、この青春というややこしいものが、こうして今でも僕を動かし、燃焼させ、前に進ませているのもまた事実だ。
 自分の人生を壊しながらも支えてくれるもの。さまざまな弊害を生みながらも前進させてくれるもの。それが青春。
 僕は青春を生きているわけではない。青春があるから生きているのだ。
 ……なんだかやたらとポジティブな結論になったので、みなさんの中には、いつまでも若くて元気でうらやましいなと思う人も出てくるだろうが、よく考えてみてほしい。ずっと青春、ずっと輝いていなければならないなんて、これほど大変な生き方もほかにない。というか、自分の力量でそんなことができるとは到底考えられない。僕は人生のどこかで、「理想と現実」という、あのおなじみの問題に押しつぶされてしまうかもしれなかったが、しかし青春と無鉄砲は相性がいいわけで、とにかく最後までがむしゃらにやるしかなかった。僕に許された道というのは、死ぬまで青春するという一本道それだけだ。死ぬまでやっていくほかない。なにができるか、なにができないか、金が出るか、クズも出ないか、まるで見当もつかないが、だけどそれが僕の道なのだ。青春の作用によって顕現された道なのだ。
 僕は云った。
「来年は僕たちでメガヒットを飛ばしましょうよ。小説家なんて山師と同じですからね。デカイ山を掘り当ててなんぼですからね」
「ぜひそうしてほしいが、きみ、プロットはあるのか?」
「うーん……まあ、ちょっと考えてるストーリーはありますよ」
「ほう。どんな話なんだ」
「そんなの決まってるじゃないですか。世界の謎を美少女といっしょに解いていく話ですよ」

 通話を終えると、エプロン姿の息子が駆け寄ってきた。
 現実の家庭生活に引き戻される。
 僕はこの、頭が冷却する瞬間がわりと好きだった。
 キッチンを見ると、妻は新たな料理にとりかかっているらしく、フライパンで肉を焼くいい音がしていた。猫はあいかわらずストーブを抱えるようにして寝ているが、耳だけはキッチンに向けられていた。
 僕はスマートフォンをソファに放り投げて、
「長電話になってごめんよ。お仕事の人と話してた」
「パパ、エビの背わたを取ったよ。みんな取ったよ」
「上手にできた?」
「ちょっとだけむずかしかった。すぐ切れちゃうから」
「どうする? いっしょにおせち作ろうか。夜までにブリと鶏肉を焼かなくちゃ」
 僕が誘うと、息子はこまったような顔になって、
「ちょっと疲れたから休憩したいな。まだゲームしてないんだ」
「いいよ。手を洗ってからね」
「もう洗った」
 息子はゲーム機に突撃した。
 最近の彼が夢中になっているのは、『フォートナイト』という、100人のプレイヤーが最後の1人になるまで殺し合うバトルロイヤル形式のゲームだった。こういうとき親としては、残虐な殺人ゲームをやらせたくないと思うべきなのだろうが、そういう感覚がいまいちわからない。それとも、いつか僕にもわかるときがきて、PTAみたいな説教をはじめたりするのだろうか。そういえば僕の両親は、人が死ぬタイプの小説を読んでいる僕を見ては残念そうな視線を向けていた。僕もいつかそんなふうになり、そしてまだ反抗期にはほど遠い息子も、僕のそんな視線を見つけるときがくるのだろうか。わからない。こないと思う。いや、わからないが、少なくとも今日は平和だ。とても平和だ。
 インターホンが鳴った。
 荷物を受け取ってリビングに戻ると、僕がかかえる大きな段ボール箱を見た息子が、「それなに? それなに?」と食いついてきた。子供というものは大きな段ボール箱が大好きなのだ。
「重箱を買ったんだ」
「じゅうばこ?」
「おせち料理を詰めるための箱だよ。間に合ってよかった」
 おせち料理を手作りするのなら、重箱くらいはあったほうがいいだろうということで、僕が注文しておいたのだ。
 包装を解くと、そこには重箱がなかった。
 あるのは、重箱の中をブロック単位に分けるための仕切り板だけ。
 なんで?
 あわてて注文履歴を見てみると、重箱と仕切り板はそれぞれ発送日がべつで、重箱が届くのは1月4日予定とあった。ぎゃっとなった。こんなの、クリスマスが終わってからツリーが届くようなものじゃないか。どうしよう。それにしても、仕切り板だけ送ってくるのに、なんだってこんなに巨大な箱が必要なんだ。
 僕は段ボール箱のフタを開いたり閉じたりしながら、とほうにくれていた。いつもこうだ。僕が先んじて立てた計画というのは、いつだってどこか間が抜けていて失敗をやらかすのだ。あらゆる気分が落ちていくのを感じた。
「パパ、じゅうばこは?」
 息子がたずねた。当然の質問だ。
 一瞬、『はだかの王様』の有名なくだりでも話してごまかそうと思ったが、あきらめて真実を話したあと、「ママにはないしょだよ」とつけくわえた。
 もちろん、そんなことは不可能だ。
 騒ぎを聞きつけた妻がキッチンからリビングにやってきて、仕切り板しか入っていない段ボール箱を見た。そしておそらくすべてを察した。
 僕は判決の時を待った。
 妻は段ボール箱から僕へと視線をスライドさせると、笑った。
 そうだった。
 妻はこういうときに笑ってくれる人だった。
 僕は無限に叱られつづけ、無限に許されつづけている。
 自分に向けられた妻の笑顔がもたらす安堵に、いつまでもうっとりしていたかったが、残念ながらあまり時間がない。僕は段ボール箱を脇に追いやると、ちょっと今から重箱を買いに行ってくるとか、きっと大晦日は重箱がいちばんよく売れる日だからとか、そんなことをぶつぶつ云いながらコートと財布をひっつかみ、妻にも息子にもなにも云わせない記録的なスピードで玄関に移動した。
 大急ぎでスニーカーのひもを結んでいると、ストーブの前で寝ていたはずの猫がのろのろやってきた。
 この猫は、僕と妻が出会ったころからずっと2人で飼っていた。ヒゲは四方八方にカールして、牙はみんな抜けてしまい、今やすっかり老猫である。おとなしく寝ていればいいのに、どういうわけか家族が出るときは律儀にお見送りをするのだ。
「いつもありがとな」
 そう云うと、猫はこちらを見上げ、牙の抜けた口をわずかに開けて、にゃあと鳴いた。
 僕は猫の頭を優しくなでて、外に飛び出した。

 さてと。
 僕のすばらしい想像力も、ここにきてついに尽きてしまった。
『青春とシリアルキラー』の連載はこれでおしまいです。
 長らくのご愛顧、心より感謝いたします。
 とはいえ、僕はまだ人の世の旅路の半ばをすぎたばかりなので、これからもお目にかかる機会はあるだろう。そのときはまた、さらさらと……あるいはじっくり……僕の話を読んでいただければ、これ以上の幸せはない。
 僕はこれからも僕自身のことを、その姿を変えたり変えなかったりしながら書きつづけるつもりだが、それはなにも自分の人生を盛大にアピールしたいからではなく、僕のような男、あるいは女、学生、フリーター、恋愛初心者、スポーツマン、教師、気象予報士、ネイリスト、天然パーマ、猫好き、犬好き……だれでもいいが、とにかくそうしたみなさんの暮らし、期待と不安、万能感と焦燥感、頭痛と腹痛に、ただ寄り添いたいだけなのだ。
 地獄めぐりを終えた僕は、ふと顔を上げてみる。
 そこにはなにがあるだろう。
 晴れ渡った青空かもしれない。病室の無機質なライトかもしれない。ひとりぼっちで暮らすゴミ屋敷の天井かもしれない。あるいは、いや、暗い話はやめだ。日やそのほかのすべての星を動かす愛だけを感じて生きよう。それでは次回作でお会いしましょう。みんな死ぬなよ。
(了)

illustration Koya Takahashi

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連載【青春とシリアルキラー】
ご愛読ありがとうございました。

佐藤友哉(さとう・ゆうや)
1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。
Twitter:@yuyatan_sato

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