見出し画像

パフェが一番エラい。|斧屋「パフェが一番エラい。」第30話【最終回】

前の話を読む

 渋谷のFabCafe Tokyoで期間限定にて提供される、パフェ職人Srecette氏によるパフェ。晩秋から冬にかけての「Srecette 23rd Parfait『Anonyme』」の提供初日、午前中の店内の雰囲気はおごそかであった。あたかも将棋盤を挟んで向かい合う棋士のごとく、言葉には発せられない“気”のようなものが充満していた。
 店の奥でパフェを組み上げる職人と、それを心待ちにし、目の前に提供されたパフェと向き合う客。静かである。静かであるのに、饒舌な空間である。皆が、パフェと無言の対話をしているのがありありと分かる(注1)。ゆっくりと、じっくりと味わっていく。空間全体に、急(せ)いたところがない。ただ職人のきびきびとした所作のみが、その場の空気を凛としたものへと律している。それが快い。クラシックコンサートを聴く時のように、身体的な動きが制限されていても、精神的にはどこへでもいく自由がある。
 ああ、これが「パフェが一番エラい」の精神だと思った。すべての人がパフェに敬意を払い、できうる限りの誠実さでパフェと対峙しようとしている。いや、そんな高潔なつもりはないのかもしれない。ただ、パフェからのメッセージをわずかばかりでも聞き漏らすまいとする傾聴の姿勢であろう。

 パフェが一番エラい。
 他のスイーツと比べて、言っているのではない(言ってもいいけど)。
 この言葉の意味はひとまず、パフェの作り手、食べ手、パフェの3者関係の中で、パフェが一番エラい、ということである。

 食べるという行為は、「食べる者」と「食べられるもの」の2者という構図を導きやすい。その場合、食べる側に主体性があり、食べられる側はなされるがままである。当然のように、食べる側に自由があり、力があるように思えてくる。
 買うという行為はどうか。パフェを買うという行為は、買い手と売り手(作り手)の2者という構図において、買い手の自由意志においてなされる。買うかどうかは客次第である。

 こうしたことから、消費する側には知らず知らずに驕りを生む危険がある。徐々に、自分の思い通りにいかないことに対する許容度が下がる。その結果、食文化の多様性が失われる。そういうことが、現実に起こってきている。

「失敗しない○○選び」という言葉をよく見るが、多くの場合、失敗しない選び方とはつまり、いま多くの人に支持されているものを選ぶということである。しかし、全ての人が、全ての対象に対してそういう選択をしてしまったら、文化は平板で画一化された退屈なものとなる。
 全国的に大ヒットする映画がある一方で、単館上映の映画が細々と、ごく一部の人の心を深く撃ち抜いている。その双方に、私は文化の価値を見出したい。だから、たとえばいちごパフェの大海の中で柑橘のパフェという小舟を漕ぎ出す店を、私は応援せずにはいられないのである。

 話を戻そう。「パフェが一番エラい」と掲げることで、パフェに合わせて自らを律するという姿勢が身につく。どうやったらパフェに失礼がないか、つまり最良のパフェ体験となるかということを考えると、自らの行動に自然と制限がかかるのだ。

 たとえば、パフェのアイスが溶けてしまう前に食べようと思えば、写真撮影もそこそこに食べ始めようということになるし、より味わって食べようと思えば、友人との会話に花を咲かせるよりもパフェに集中しようということになる。もちろん何が最良のパフェ体験であるかは、人それぞれに異なる。

 勘違いしてほしくないのだが、目の前のパフェに対して常に無条件に降伏せよ、と言っているわけではない(注2)。自分にとってのパフェとは何なのか、理想のパフェとは何なのかを追求する姿勢を常に持ちたい、ということである。つまりそれは、自らの美学の追求である。

 たとえば、前述の「Anonyme」では、これまでとは異なるスプーンが用意されていたことで、「どう食べるか」ということをおのおのが強く意識することになった。軽く小さい、アシンメトリーの「ケーキスプーン」は、アイスもすくいやすく、口の中でも金属臭がしない。スプーンが媒体としての存在感をより弱め、パフェと我々の距離をぐっと縮めることになったのだ。こんな形でパフェがおいしくなることがあるのだ、という新たな体験が、我々の理想のパフェ像を日々進化させていく。

 パフェは、グラスの中に入った物質を指すのではない。ある場所で、ある主体が、ある時間的に連続した体験をすることの全体を言うのである。だから、「パフェが一番エラい」という場合、実はそこにはお店も作り手も、パフェ体験の主体である自らも含まれている。
 パフェを取り巻くすべてを尊重すること。自分の感じ方、あり方を尊重し、同時に作り手を尊重すること。その向こう側に、すばらしいパフェ体験が待っていて、今後も新たなパフェ文化が花開き、成熟していくことを信じている。

 パフェが一番エラい。

※注1:それが証拠に、TwitterやInstagramで読むことができるSrecette氏のパフェについての感想は、どれも一篇の詩のようでさえある。それぞれが己の感性でパフェを受け止めようとした記録だ。
※注2:もちろんいつでもおごそかな気持ちでパフェを食べるのがベストだということでもない。みんなでわいわいと食べるのがおいしいパフェもあろう。あくまで置かれた環境下で、どのような食べ方がベストかを追求したいということである。

画像1

画像2

▲Srecette 23rd Parfait『Anonyme』
どう食べるかもひっくるめて、パフェ。

連載TOPへ

連載【パフェが一番エラい。】了
ご愛読ありがとうございました。
本連載はホーム社より書籍化予定です。

斧屋(おのや)
パフェ評論家、ライター。東京大学文学部卒業。パフェの魅力を多くの人に伝えるために、雑誌やラジオ、トークイベント、時々テレビなどで活動中。著書に『東京パフェ学』(文化出版局)、『パフェ本』(小学館)がある。
Twitter:@onoyax

更新のお知らせなど、最新情報は編集部のTwitterで発信しています。ぜひフォローしてください!

うれしいです!
13
HB(エイチビー)は、集英社グループの出版社・ホーム社の文芸サイトです。2017年11月にサイトを立ち上げ、2020年にnoteへ引っ越してきました。小説やエッセイを中心に、毎日をより楽しく過ごすための、さまざまなコンテンツをお届けします。