HB ホーム社文芸図書WEBサイト
乾物のつぶやき|千早茜「こりずに わるい食べもの」第14話
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
見出し画像

乾物のつぶやき|千早茜「こりずに わるい食べもの」第14話

HB ホーム社文芸図書WEBサイト

  二月末に東京に引っ越してから、度重なる緊急事態宣言で新しい土地での外食はほぼしないままに年が終わろうとしている。昼間に一人でパフェを食べにいったり、ケーキを買いにいったりはしていたが、夜に友人たちと飲みにいくことがめっきりなくなった。京都にいた頃は馴染みの店にいけない悲しみが強かったが、このままでは私にとって東京は自炊の街になってしまう。

 先日、担当T嬢と夜の外食をした。緊急事態宣言も明けたし普段は食べないものを! と意気込んでロシア料理を選んだものの、店の場所が歌舞伎町のほど近くだったため、辿り着くまでに濃い香水の匂いに酔ってしまった。おまけに迷子になった。迎えにきてくれたT嬢に「千早さん、会うとだいたいいつもダルそうですよね」と言われながら、洞窟のような店でメニューをひらくと、前菜から見たこともない料理名が並んでいた。マリノーブナヤ・ケタ、セリョトカ、パシテッド・イズ・ウチャーチヌイ……どんな食べものなのか、まるで想像ができない。思考停止してしまい、コース料理にしてもらった。ペリメニがでてくると「バター餃子!」と叫び、シャシリークの剣を模した串に喜ぶくらいしか反応ができなかった。しかも、ちょっと話すと疲れて眠くなる。外界にも、未知の料理にも、あわあわするばかり。もともと少ない柔軟性がほぼ皆無になっていた。ブリヌイ(クレープのようなもの)、パイ包み焼き、ピロシキが続いたT嬢は「小麦粉をいろいろなかたちで食べさせられますね」とロシア知識ゼロの感想を述べていた。東京はなんでもあるけれど、ちゃんと知ることもなく予定していた三年が終わるのではと思いながら、ふわふわと酔った夜道を帰った。

 次の日、起きて冷蔵庫を開け、ひさびさにすっきりしていることに気づく。ロシア料理には高カロリーのイメージがあったため、胸焼けするかもしれないからとあまり常備菜の仕込みをせずにいたのだ。人との外食の予定がないと、せっせと常備菜を仕込む。人参のラぺ、たたき牛蒡ごぼう、切り干し大根の煮物などのタッパーが重なり、水を張ったボウルの中で秘伝豆がふっくり揺れている。昆布も干し椎茸も慌てて戻す必要がない。明日も明後日も自炊なのだから、どこかで使うだろうとあらかじめ水に浸けておける。ベーコンはブロック買い、肉も塩をしておけば塊でしばらく保存できる。

 なにより、薬味をたくさん揃えられる。茗荷、大葉、小口ネギ、三つ葉、クレソン、生姜、パクチー、パセリ……傷みやすい香りものの彼らを溶かしたり変色させたりすることなくちまちまと使い切れる幸せ。
 コロナ禍の前は、急に食事に誘われたり、用事が長引き外で食べて帰ったりすることがちょこちょことあった。自由に食べにいく愉しみもあるのだが、「ああ……だしを取ろうと思っておいておいたセロリの葉……きっと明日はもう駄目だな」とか、「あー山くらげ、戻しちゃってるんだけどなー」とか、「半分残しておいたエノキ……黄ばむな……」と、ほんのりと胸が曇る。おそらく、表情も曇っている。コロナ禍によってそういうストレスからは解放された。

 少し前に、とある取材で「ステイホームのお勧めは?」と訊かれた。いかにもコロナ禍らしい質問だった。家で仕事をしている上に、家が大好きな人間なので、コロナ禍以前からステイホームがちです、と喉元まででかかったが、そういう答えを期待されてはいないだろうと「乾物を戻すこと、ですかね」と答えた。インタビューアーは微笑みを崩さなかったが、目には明らかに疑問符が浮かんでいた。こういう答えも期待されていなかったようだ。

 人と外食することが当たり前ではない世界になってから、ストック乾物の種類は増えた。予定外の用事がないので、乾物戻しの邪魔をされない。浸水に時間が取れるので米に混ぜる雑穀もいろいろ試すようになった。ついには糯米もちごめを買い、おこわを作るようになってしまった。そのうち餅に手をだしそうで怖い。
 緊急事態宣言中に洋食の仕込みに二日かけたりしていると、ちょっと頭が混乱した。外は非常時、けれど、生活は充実している。食材の予定を乱すものはないけれど、感染したら生活、下手したら人生がひっくり返る。平和なのか、危険なのか、わからない。時間をかけて煮込んだ料理を、ゆっくり戻した乾物を、食べられなくなってしまう可能性はコロナ禍に限らずいつだってある。

 それでも、明日に繋がるなにかをしている、という実感は家で一人きりで仕事をしている身には大きな息抜きだった。乾ききって食べられないものが、水と時間でふくふくと戻り、前よりも滋味深いものになる。美味しいものへと姿を変える。永遠に続くように思える非日常の中で、その確かな変化を見たくて、せっせと乾物を戻していたのかもしれない。
 とはいえ、今は乾物のようにカチカチになった柔軟性を人と会うことでゆっくりと戻していきたい。

画像1

illustration 北澤平祐

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

※本連載は次回より月1回の更新となります。

連載【こりずに わるい食べもの】
毎月第2水曜日更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『さんかく』『ひきなみ』などがある。
Twitter:@chihacenti

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

更新のお知らせや最新情報はTwitterで発信しています。ぜひフォローしてください!

HB ホーム社文芸図書WEBサイト
HB[エイチ・ビー]は、集英社グループの出版社・ホーム社の文芸サイトです。2017年11月にウェブサイトを立ち上げ、2020年にnoteへ引っ越しました。小説やエッセイを中心に、毎日をより楽しく過ごすための、さまざまなコンテンツをお届けします。