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あとかた姫|千早茜 第28話

 両親と妹家族と温泉に行った。半年ぶりに会った姪は私を見上げると「あかねちゃん」と言った。認識された途端、いままでとは違う情が芽生えたのを感じた。「みてー」と小さな手でお気に入りのスカートの裾をつまむ。欲しいものを欲しいと言えず「これ、なあに?」と知っているのに訊いてくる。前に会ったときは不明瞭な言葉を叫ぶしかできない赤子だったのに。

 姪のことは「あとかた姫」と呼んでいる。編み込みをした後ろ姿が、私の著作『あとかた』単行本の表紙絵にそっくりだから。妹が丁寧に編む髪の毛は細くて、私と同じ黒色なのに日差しを溶かしたような光沢がある。この髪質も変わっていくのだろうか、と思いながら写真を撮った。

 あとかた姫が生まれたのは二年ほど前で、一報をもらったとき私は仕事で東京にいた。打ち合わせを終えると新幹線に乗ってすぐに向かった。病室の妹は疲れきっていた。頬がこけ、顔色が悪く、下腹部を押さえては痛い痛いと背中を曲げた。反面、新生児室のあとかた姫はむちむちと元気そうだった。同時期に生まれた赤子たちよりひとまわり大きく、どっしりした身体は栄養がみなぎっている感じがした。妹の生命力が吸い取られたように感じて不安になった。数時間おきの授乳でろくに眠れない妹の憔悴ぶりを見て、頼むから早く大きくなってくれよ、と祈るように思ったのを覚えている。

 あの頃の赤子と今のあとかた姫は別人のようだ。一年前に会ったときとも違う。去年の秋に会ったとき、彼女はものすごい食欲で、大人たちが食べるものをなんでも欲しがった。三家族で窯焼きピザの店に行ったのだが、妹がタッパに持ってきた自分の食事だけでは飽き足らず、大人と同じように三種類のピザと二種類のパスタを食べ、お腹をぱんぱんに膨らませていた。パフェを食べる私を羨ましそうに見つめるので、「ちょっとだけだよ」とひと匙あげると目を見ひらき歓喜の叫び声をあげた。あまりに興奮してしまい、店から連れださなければいけないほどだった。「生まれてはじめてパフェを食べた人間の顔」は強烈に印象深く、パフェを食べる度に思いだす。

 あとかた姫は今も食いしん坊には違いないのだが、服やアニメにも興味がでてきた。『アナと雪の女王』に夢中だ。食べものの好き嫌いもでてきたと妹は言う。ご飯の山に旗をたてた、お子さまプレート的なものを嫌がるので、旅館の食事は大人と変わらないものを用意してもらったそうだ。スズキの潮仕立て、マナガツオの幽庵焼き、夏野菜の海老そぼろ餡といった美しい皿や椀を前に、あとかた姫はオレンジジュースを一気飲みして食事をはじめた。豆とトマトが好きなようで、自分の分を食べてしまうと、大人たちのを欲しがる。朝食時はみんなの海苔を一枚ずつ分けてもらっていた。

 妹の小さい頃みたいだなと、思う。好きなものがあると急いで食べて、私がまだ食べ終えていないとじっと見つめてきた。食が細かった私は自分の好物でなければ喜んであげていた。姉妹で、同じ家で育っているのに、好き嫌いが違うというのが不思議だった。自分とは異なる人間なのだと思った。

 あとかた姫の面倒をみながら食事をする妹に、「あなたはチーズが好きだったよね」と言うと「えーそうだっけ」と意外な顔をされた。忘れているようだ。イカが好きだったことも、甘海老が好きだったこともある。学生の頃は「シフォンケーキをパン代わりに食べたい」と請われ、菓子作りにはまっていた私は毎週末シフォンケーキを焼いていた時期があった。妹は嬉しそうにシフォンケーキを朝ごはんにしていたが、夜食はちくわをスライスチーズで巻いたものをこっそりと食べていた。そういえば、父はみかんゼリーが好きで、私はオレンジジュースとみかんの缶詰を使い、大きなタッパにみかんゼリーを作っていた。今は二人ともシフォンケーキもみかんゼリーも欲しがらない。

 私は小さい頃から芋や餅が好きでマヨネーズが嫌いで、食の嗜好はあまり変わらないとは思っているが、ときどき母から「茜の好物」と予想外の食べものが送られてきて驚く。「違うよ」と反論しても、「昔はすごく喜んでいた」と言われると、自分の中に自分じゃない自分がいるようで薄気味悪くなる。自分が知らない自分を知られているのも、なんだか落ち着かない。十代の頃、赤子の頃の自分を知っているおばさんたちが苦手だった。「おむつを替えたのよ」などと言われても恥ずかしいだけだし、私が記憶していない私は私じゃないと面白くない気分になった。

 あとかた姫が大きくなったとき、聞かれない限りは昔の話はしないようにしたい。昔のあなたを知っているなんて変なマウントを取らずに、ちゃんと、そのとき、そのときの彼女を見て、言葉を聞いて、情報をアップデートしていたいなと思う。

 でも、煮物の椀の中から一生懸命に青いサヤインゲンを探す今の彼女が好きなのだ。ぽよぽよの腕の感触、汗で張りつく細い髪、妹が小さい頃とはまた違う体臭。海苔をあげても服をあげても同じ笑顔で「あかねちゃん、ありがとー」と言う彼女や、遊んだあとの玩具を妙に几帳面に片付けたりする彼女を、忘れたくない。たとえ、彼女の記憶に今の私が残らないとしても。どんなに写真や動画を撮っても全ては残せない。『あとかた』は遺せないものを描いた連作集だった。とどめられない切なさは成長に必ずつきまとう。

 食事を終え、ひとしきり遊んだあとかた姫を寝かしつけるため、ほろ酔いの妹が億劫そうに立ちあがる。襖の前でふり返り、「姉ちゃん、つまみにチータラ持ってきたからさ、あとで食べようよ」とこそっと言ってくる。なんだ、やっぱりまだチーズが好きなんじゃないか、と笑いそうになったが黙っていた。好物のかけらがかたちを変えて残っていくのを見守るのも楽しいかもしれない。

わるたべ28


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千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。 
Twitter:@chihacenti

※シーズン1は『わるい食べもの』として書籍化されました。こちらで試し読み公開をしています。


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