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第五話 はたらく滝本 その2 滝本竜彦「超人計画インフィニティ」

老いと死の不安を乗り越えるために「超人計画」が再始動する。滝本竜彦によるハイブリッドノベル!
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illustration 安倍吉俊


 電気が止まった。
 スマホも止まった。
 社会との接点を絶たれた俺はアパートの暗がりの中で静かに朽ちていく運命かと思われた。
「本当にごめんなさい、滝本さん。まさかあの貯金箱の五百円が滝本さんの全財産だったなんて……」
 レイはおろおろとした様子で部屋をうろついた。俺は窓の表面を指でとんとんと叩いた。
「暗いな、この部屋。昼だっていうのにカーテンを全開にしても暗い」
「ど、どうしたの滝本さん……」
「この部屋に俺が住んでるって知りながら、あいつら、隣にあんな馬鹿でかいマンション建てやがったんだ。あいつらのせいで俺は陽の光を浴びてビタミンDを合成できない。あいつら、俺に死ねって言ってるんだ……」
「落ち着いて滝本さん! そもそもこんなになるまで働かなかった滝本さんが悪いのよ。ビタミンDを合成できないのは滝本さんが外に散歩に出ないのが悪いのよ」
「俺だって働こうとしたさ! たまに散歩もしてる! なのに社会が俺を爪弾きにするんだ!」
 レイはふう、とため息をついた。
「はいはい。滝本さんはかわいそうね。わかったから、早く次の仕事を探しに行って」
「ちっ。めんどくせえな。なんでこの俺が金ごときに時間を使わなきゃならないんだよ」
 俺はゴミ箱を蹴飛ばしながらも派遣会社にコンタクトを取ろうとした。だが電話料金未納で回線が止められている。
 スマホを放り投げかけたが、いいアイデアを思いついた俺は近所のコンビニに向かった。
 サンダルを履いて追ってきたレイが怪訝そうな顔を向けてくる。
「コンビニに来ても何も買えないわよ。お金がないんだから」
 俺はこめかみをとんとんと指でつついた。
「ここを使え。コンビニはWi-Fiの電波を発している。あとはわかるな?」
「なるほど、IP電話ね!」
 俺はコンビニの駐車場の塀によりかかりながらスマホを操作し、IP電話で派遣会社に連絡した。
「もしもし。滝本竜彦と申します。先日はあのー、途中で早退してしまい大変すみません。次は頑張りますので新しい仕事を紹介していただきたく……えっ? 長期の仕事? 面接? 今夜? 駅前に十八時に待ち合わせ? はい、よろしくお願いいたします……」

 夕方、手を振るレイを尻目にアパートを出た俺は西にある駅前に向かった。
 残り資産は四円のため、自分の足という最終移動装置を用いて駅前までの四十分の道を歩かねばならない。
 その道のりをせめて豊かなものにすべく、俺は川崎大師の参道を通った。
 夕焼けに染まる参道ではまず『とんとこ飴切り』が目についた。
 これは川崎大師の名物とも呼ぶべきもので、祝日や正月には職人さんが飴を包丁でとんとことリズミカルに切っていく実演が行われる。
 とんとこ飴は長く伸びるため、延命の効果がある。またとんとこ飴は切断によって作られるため、厄を切る効果がある。
 延命と厄除け……どちらも俺の超人計画に必要なコンセプトである。だが残念ながら俺の財布には四円しか入っていない。
 俺はとんとこ飴をスルーしてさらに参道を歩いた。すると黄色やピンクのカラフルな開運だるまが目についた。
 開運……今の俺に必要なコンセプトである。だが残念ながら俺の財布には四円しか入っていない。俺は開運だるまをスルーして参道を抜け、その先にある寺院に向かった。
 この寺院は大師、すなわちグレートマスターの称号を持つ男に関連したもので、参拝するだけでその男からご利益を授かることができる。
 グレートマスターは死を超越しており、それゆえ平安時代の承和2年、すなわち835年から山奥の霊廟でいまだに瞑想を続けている。
 死の超越とご利益……それはまさに超人計画に必要なコンセプトである。
 俺は寺の賽銭箱に全財産の四円を放り込むと祈った。
「グレートマスターよ、俺の超人計画を成功へと導いてくれ! ついでに金運をアップしてくれ!」
『いいだろう。滝本よ。その代わりお前も不老不死になったら、全国の人々の幸せのために頑張って働くのだ』
「おお、任せろ。とりあえず千歳ぐらいまでは現役で働くつもりだ」
 俺はグレートマスターとの問答を終えると、賽銭箱から後ずさった。
 すっかり暗くなった境内の石畳に足音を響かせながら、このあとのバイトへのコンセントレーションを高めていく。

 *

 派遣会社の担当者との待ち合わせになんとか成功できた。
 若くこざっぱりしたビジネススーツの青年は、俺を駅前のマクドナルドに連れていった。
「滝本さんは何を飲みますか? 私が頼みますので」
「あ、ありがとうございます……コーヒーをください」
 青年は今日の仕事についての事前説明をするとマクドナルドを出た。
「ではこれから現場に向かいます。バスに乗りましょう」
 バス停で担当者と並んだ俺は、念のために聞いた。
「あのー、バス代も払っていただけるんですよね?」
「えっ?」
 担当者は『何を言ってるんだ、この男は』という視線を俺に向けた。
 コーヒー代は経費としてシステムに組み込まれているが、どうもバス代は違うらしい。
「実は俺、いや私、今ちょっとお金がなくて……」
「バス代はお貸しします……後日、会社に返しにきてください」
 担当者は悲しげな表情を浮かべながら二百二十円を俺に渡した。俺はそれをバスの運賃箱に入れた。
「…………」
 窓の外を流れる夜の川崎の街明かりを浴びながら、バス代すら払えないことから生じる惨めな気持ちを瞑想によって落ち着けていると、隣に座った担当者が口を開いた。
「ところで」
「な、なんでしょう?」
「滝本さん、前職などなにかされてましたか? 長期の契約ということなので、今夜、現場で履歴を聞かれると思うのですが」
「ミュ、ミュージシャン……」
「ははは……本当ですか?」
「あのー、よかったら聴きますか? 先日とうとう一曲目の曲ができたので」
「いえ……何かこう、そこからお金を得たというような職の経験は」
「しょ、小説家を少し」
「ははは……本当ですか?」
 俺はうなずいた。
 バスは夜の川崎を東に戻り、俺のアパートを越え、橋を越えて埋立地の工業地帯に入った。
 俺は思わず窓にかじりついた。
「おおっ。なんと綺麗な。これが有名な川崎の工場夜景ってやつなんですね」
 まさにミッドガルのごとき光景がバスの窓の外に広がっていた。
 天を貫くようにいくつもそびえ立つ鉄柱から煙が吹き出し、工場のライトに青く照らされてもくもくと夜空に立ち上っていく。
 また一際高い鉄柱からは炎が噴き出し、天を赤く染めている。その鉄と錆のディストピア感あふれる光景の只中で担当者は立ち上がった。
「このバス停で降りましょう」
 担当者のあとをついてバスを降りると、強いケミカル臭が鼻をついた。公害は大丈夫なのか。もしや俺は石油プラントで働くことになるのか?
「あのー、私、危険物取り扱いの資格を持ってないんですが」
「いえ。こっちの方です」
 担当者は石油プラントに背を向けると、製鉄所のゲートをくぐった。
 瞬間、大学時代にかなりの時間を費やした世界初のMMORPG、ウルティマ オンラインの記憶が、俺の脳裏に蘇った。
 理不尽に襲いかかってくる野盗に気をつけながら、洞窟でツルハシを振るう俺の青春。
 鉱石を掘り出し、炉で溶かしてインゴットを作る仕事に俺は従事していたものだった。
「なるほど、製鉄ですね。それならまあやれないこともないです」
「違います。段ボールを運ぶ仕事です」
 担当者は製鉄所に併設されている倉庫を指差した。

  年老いた警備員から入館許可証を受け取った担当者は、倉庫に向かって歩き出した。
 彼は施設内の横断歩道で立ち止まると、俺に真剣な顔を向けた。
「絶対にここで一時停止してください」
「な、なんでですか?」
「搬入のトラックが危険、ということがまず一つ。次に、どこから見張られているかわからない、というのが一つ。決まりを破ればうちにクレームが来ます」
「なるほど……」
 うなずいた俺は眉間のサードアイ、すなわち超人になる修行の副作用として何年か前に開いた霊的な目を使って、辺りを注意深く見回した。
 すると倉庫の窓の奥の暗がりに潜む何者かの視線を感じた。
 何者かの視線……それは生きた人間のものとは限らない。なぜなら、このような歴史ある労働現場には、多くの残留思念が宿りがちだからである。
 そう……過去の虐げられたプロレタリアートたちの怨念がこの倉庫には残留しているのだ。
 それは生きた労働者の思念と混じり合い、この倉庫に一種の有機的なエネルギーフィールドを形成していると考えるべきだろう。
 それは何もこの倉庫に限ったことではない。
 どの土地、どの集団も特定の雰囲気を持っている。それは歴史と自然と人々の思念が混じり合って形成されるエネルギーフィールドに由来している。そのフィールドはその土地特有の世界観や思考パターンを保持する性質を持つ。
 このフィールドの力は強力であり、個々人がおいそれと立ち向かえるものではない。
 それゆえ『郷』……すなわち独自のエネルギーフィールドを持つ特定集団の中に入るなら、その集団の価値観が自分のものと違うとしても、それに逆らってはいけない。
 対立はむしろその集団のエネルギーを我が身に深く受け入れることとなる。そうではなく、自らを空とし、その集団のエネルギーに調和することで、ネガティブな影響を受けることなく、ポジティブな影響だけを受けとることが可能となるのだ。
「わかりました、担当者さん。この倉庫のルール、気をつけて守ります」
「それがいいでしょう」
 横断歩道の前で足を止めた俺は、右を見て、左を見て、さらに前方の倉庫の中心にわだかまる思念の集合体に向かって一礼した。
「では失礼します……」
 恐る恐る横断歩道に足を踏み出す。
 空気が濃くなっていく。
 とぷん、と液体の界面に身を投じるように、何らかの境界を越えたのを感じた。
 俺は今、この倉庫が持つエネルギーフィールドの中に足を踏み入れたのだ。これまでの常識が通じない異界に身を投じたことから来る緊張が俺を包んだ。 

 先を歩く担当者はプレハブ小屋の隣の煙たい空間を指差した。
「あそこは喫煙所です。休憩時間にタバコを吸うならそこを利用するといいでしょう」
「タバコはねー、やめたんですよ、ははは」
「そうですか……では、あちらが休憩所です」
 担当者はプレハブ小屋に俺を導いた。中学の教室を思い起こさせる殺風景な休憩所には、机の上にいくつもの雑誌が散乱していた。
 俺は一冊、手にとった。車の改造をテーマとした雑誌のようだ。
「気になりますか? 車があれば自由に移動できますよ」
「いやー、車はね。ちょっと運転が怖いんですよ」
「ではこちらはどうですか? ギャンブル雑誌ですよ」
「いやー、ちょっと算数が苦手なもので、ギャンブルは難しくてよくわからないんですよ」
 そのときだった。
 俺を包む空間が、俺に敵意を向けてきたのを感じた。空気にピリピリとした緊張が満ち、とたんに居心地が悪くなる。
 しまった。
 タバコと車とギャンブルを否定することによって、俺はこのエネルギーフィールドに異物として認識されてしまったのだ。
「ぐっ……」
 これまでニュートラルだったこの空間が、俺に対してデバフ効果を持つ敵地と化した。俺は必死でこれまでの失言を取り消そうとした。
「あ。そういえば昔、エヴァのパチンコに十万くらい飲まれました。タバコも誰かがくれるなら吸います。担当者さん、一本ください」
「そろそろ時間です。事務所に行きましょう」
 担当者は俺の言葉をスルーすると、プレハブ小屋を出て倉庫に向かった。
 一歩歩くごとに強まる場違い感、その圧力を感じながらも、すでにこの空間に調和する機会は失われていた。前を進む担当者の背をただ黙々と追い続けることしかできない。
「…………」
 林のように資材棚が立ち並び、いたるところに黄色と黒のトラテープが張り巡らされた迷路のごとき倉庫の深淵へと飲み込まれていく。
 目の前を歩く担当者の背を見失えば、この倉庫で迷人となって朽ちる運命である。
 必死に担当者の背を追っていると、ふいにどこかから地獄の亡者を拷問する鬼のごとき怒声が響いてきた。
 振り返ると資材の林の向こうに、身長は二メートルに達し、体重は俺の三倍はあろうかと思われる巨漢が見えた。
 あの有名な地獄潜りMORPG、DIABLOの地下二階に出現し、プレイヤーを見つけた瞬間、『新鮮な肉だ!』と叫んで肉切り包丁を振り下ろしてくるあの殺人肉屋のごとき巨漢が、段ボールをかかえた労働者に罵声を浴びせている。
 恐怖に魅入られた俺は足を止めてその黙示録的光景から目をそらせなくなった。
「何してるんですか、滝本さん。事務所はすぐそこですよ」
 振り返ると担当者が足を止めて俺を見ていた。
「え、ええ……」
 俺は資材の向こうで怒鳴り続けている巨漢からなんとか視線を切ると、再び担当者の背を追って事務所に入った。
「では私はこれで」
 担当者は応接室のテーブルに書類を置くと、逃げるように立ち去っていった。

 応接室では暗いオーラを背負った作業着の男がパイプ椅子に座っていた。
 その初老の男は額の汗をぬらぬらと輝かせながら、立ち上がって名刺を俺に渡した。
「よろしくねえ」
「よ、よろしくお願いします」
 天井の蛍光灯は寿命が切れかけているのか、周波数の隙間が見えるかのごとき、ざらついた光を俺に投げかけてくる。
 不快な眩しさに目をしばたたかせながら俺が席に着くと、作業着の男も正面に腰を下ろし、テーブルの書類をめくった。
「ふふふ……君の名前は滝本竜彦……いい名前ですねえ。どこに住んでいるのかなあ」
「こ、ここから歩いて三十分くらいのところに住んでいます」
 この倉庫に籠もる残留思念と一体化したかのごとき異様なるオーラを放つ男の前で、俺の声は萎縮して震えていた。
 このままではいけない。
 俺は深呼吸すると丹田に力を込めて強気に出た。
「さ、さっそく今日からでも働きたいんですが」
「いいねえ。若くて元気ですねえ。まずは面接をさせていただきましょうかねえ」
 作業着の男はテーブルに身を乗り出して、俺を至近距離から舐め回すように見つめてきた。
 心の準備ができないまま、面接が始まった。

 

「それで滝本君、大学を中退してから今まで、何をしていたのかなあ?」
 初手、作業着の男の質問に対して、ミュージシャンと答えたいところである。
 なぜなら俺はミュージシャンだからである。音楽で世界を変える……それが俺のライフワークなのだ。
 だが俺とて常識のある社会人である。この場ではライフワークとか、そういう抽象的なことを聞かれているのではないとわかっている。
 この作業着の男は、実際に金銭の授与が発生するような、狭義の仕事経験を聞いているのだ。
 仕方ない。俺は素直に答えようとした。
「……しょ、小説」
「小説?」
 だが口ごもってしまう。
 自らを小説家であると答えるのは、どうしてもためらわれた。
 なぜなら、この俺こそがあの天才小説家、滝本竜彦であると他人に知られたら、深く尊敬されてしまうからである。
 特に近年では人々からの尊敬の度合いが歴史上の人物レベルにまで高まってきているのを心の中で感じる。
 実際、俺が一作目の小説を出版したのは二十年以上も前のことだ。時間の流れが加速しているこの現在において、二十年前のコンテンツはもはや歴史上のものである。
 すなわちもはや俺は、昔通っていた大学のOBである二葉亭四迷と同一カテゴリーの存在と言っても過言ではないのである。
 嫌だ!
 そんな伝説上の人物として見られて無用な尊敬を浴びるのはもう嫌なんだ!
 確かに俺は世界レベルの天才小説家だ。
 でも天才だって、普通の人間なんだ!
 わかってくれ!
 俺だって日々苦労して、地味な努力を重ねて生きているんだ。
 俺をレジェンド枠として扱うのではなく、生きた一個の人間として扱ってくれ!
 そんな心の声がほとばしる。
 だがそうは言っても、人はときに他人を神格化したがるものである。それはいわば人間の本能だ。
 よって、ときには神格化されたレジェンダリー人間として扱われるのも、他者への奉仕の一つと言えよう。
 俺は意を決して職業を明かした。
「実は小説を書いています」
「へええ。凄いですねえ。出版などされているのかなあ?」
「は、はい。デビュー作は角川から出版されています。タイトルは、ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」
「ね、ネガ……?」
「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」
 魔界塔士の故事にある通り、チェーンソーとは神を殺す武具なのだ。つまりこのタイトルは、己の神を殺すことの恍惚と不安を表現している。
「へええ、難しいタイトルだねえ。ちょっと調べさせてもらうね」
 作業着の男はスマホでその書の実在を確認すると、俺の履歴書のコピーに『2001 ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ出版』とボールペンで書き込んだ。
「それで滝本君。この本を出版されたあとは何をしていたのかなあ?」
「え、NHKにようこそ!」
 俺は満を持して自らの代表作を口に出した。かつて俺の世界の皆がこの作品に熱狂したんだ。
「NHK……テレビ局の話かなあ?」
「い、いえ。ここで言うNHKとは、日本ひきこもり協会の略で……ふ、ふふふっ!」
 タイトルの傑作さに、思わず笑いがこぼれる。
 作業着の男も微笑みながら、『NHK=日本ひきこもり協会の略』と履歴書に書き込んだ。
「それで滝本君、この二作目の出版のあとは何をしていたのかなあ?」
 自分の人生のすべてがさらっとスルーされていく惨めさを堪えきれず涙目になりながらも俺は答えた。
「ちょ、超人計画!」
「それはなんなのかなあ?」
「それはこの私、滝本竜彦が超人になる計画を書いた本です」
「面白そうだねえ! つまりマーベルの話ってことかなあ?」
 確かに、1941年のこと、ひ弱で軍の徴兵基準を満たせないスティーブ・ロジャースはナチズムへの義憤と愛国心に駆られ、軍の『超人兵士計画』に志願し、特殊な血清を投与されて超人兵士『キャプテン・アメリカ』となった。だがそれは俺の超人計画とは関係ない。
「ウィンター・ソルジャーは傑作だよねえ」
 そのことには同意する。だが俺の超人計画は、オメガ級兵器のムジョルニアをも防ぐヴィブラニウムの盾を装備した男とはなんの関係もない。
「黙ってしまってどうしたのかな、滝本君。君の超人計画とは何なのかを教えてくれますかねえ?」
「超人……それは自らの現実を自らの意思によって創造する力を持つ」
「え、聞こえないよ。もう少し大きな声で答えてほしいなあ」
「ちょ、超人の力で新しい世界を創る! そ、それが私の超人計画です!」
「へええ。面白いことを考えたもんだねえ。どんな世界を創るつもりなのかなあ?」
「誰もが千年生きられる世界……」
「とんでもない高齢化社会だねえ。そんな社会には多くの問題があると思うけどねえ」
「いいえ……健康寿命をぐいーんと延ばすことが、今、この地球人類が直面している少子高齢化へのファイナルアンサーとなると考えます」
「なるほど、興味深いねえ。それじゃあ最後に、何か滝本君の意気込みを聞かせてもらおうかな」
「わかりました。私の意気込み……それは超人のように頑張るということです」
「おお、いいねえ! 超人のように頑張る感じ、ちょっと見せてもらっちゃおうかねえ」
 ここで俺は瞑目した。
 超人の力は極めて広いアスペクトで心の内と外に作用するが、そのわかりやすい発現の例として『現実改変』というものがある。
 地球レベルの大規模な現実改変も、その最初の一歩は常に個人レベルの生活に密着した場から生じるのである。
 俺はこの現実を改変するために、今、超人の力を解放することにした。
 目を開けて言う。
「今、惨めな感じです」
「そ、そうなのかい? いろいろ聞いちゃって悪かったねえ」
「でも……頑張ります」
 人生を賭して書いた小説、そういったもので得た金は全て消えた。名声を得ることも叶わなかった。
 そんな俺の未来に待つのは暗く長い肉体労働だ。その肉体労働の中で俺は何度も怒鳴られながら段ボールを運び、日に日に強まっていく関節の痛みに怯えながらわずかな日銭を稼ぐのだ。
 この惨めさを今、超人の力によって改変してやる。
 よく見ていてくれ。
 俺は再び瞑目すると、より強く超人の力をブーストした。
 まず肉体の緊張が解けていく。超人は物理的な諸条件から肉体を解放するすべを知っているのだ。俺の呼吸は深まり脳波はシータ波を描いた。
 次に惨めさの感情が消えていった。超人はこの世のすべては色即是空であることを知っているだけではなく、その智を現実に適用してあらゆる苦を浄化できる。俺はさっぱりした気持ちになった。
 次に『自分は惨めな存在である』とする思考そのものが改変されていった。この職場で俺は、大いなる成長と進化に役立つ体験を得るだろう。このポジティブ思考のジェネレート速度は、『よかったさがし』を得意とするあの少女ポリアンナの二倍は出ている。
 いや、二倍じゃ足りない。
 十倍だ!
 俺はリミッターを解除して超人の力を全力で発現させながら叫んだ。
「うおおおお、頑張ります!」
 これが俺の現実改変の力だ!
 俺は惨めじゃない。
 惨めじゃないんだ!
「い、いいねえ。元気だねえ。それじゃあ週に何日くらい入れるか教えてもらおうかねえ」
 俺は素早く目元を拭うと答えた。
「ええと……毎日だと疲れてしまうので、週に四日ぐらいでお願いしたいです」
「その他、何か質問はあるかなあ?」
「ええと……この職場にはバスでなく自転車で通おうと思うんですが、その場合、交通費は……」
「交通費は規定通り支給するよ」
「た、助かります!」
「これ、制服と安全靴。ロッカーはあっち」
 作業着の男は俺をロッカールームに案内した。俺は制服に着替えると初日の仕事を始めた。
 予想通りあの地獄の鬼のごとき巨漢の怒声を浴びながらの作業であったが……。
「なあに、かえって免疫が付くぜ!」

* 

明け方まで働いた俺は、もう一度、目元を拭うと倉庫を出た。
「うう……」
 歩いて三十分の帰り道、何度も植え込みに座り込んでしまったが、なんとかアパートに辿り着くことができた。
 部屋の奥のソファでは、カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、レイが寝息を立てていた。
 彼女の膝に乗っているノートパソコンには、以下の文章が表示されていた。

レイちゃんの知恵袋 その5
『五感を刺激する』

 遅いですね、滝本さん。
 こんな深夜に、まだ働いているんでしょうか。慣れない肉体労働で辛い目に遭っていないか心配です。
 でもたまには体を動かす仕事をして、いつものパソコン作業から解放されるのもいいことかもしれませんね。
 そう! 高度に分業化されたこの社会に生きる現代人は、一つの仕事ばかりして心が凝り固まりがちなんです。
 それはよくありません!
 昔の原始人は走って狩りをし、肉を焼いて食べて、歌って踊り、暇なときには洞窟の壁に絵を描いていたんです。
 それは知力、体力、想像力をフル活用する、イキイキとしてフレッシュな生き方です。
 なのに現代人の滝本さんときたら、日がな一日スマホやパソコンをポチポチしながら、やれ小説だの音楽だの、吹けば飛ぶようなデジタルな創作活動のことばかり考えています。
 それは人間としてどうなんでしょうか?
 人間とは血あり肉ある存在なんですよ?
 もっと体を動かしたハツラツとした活動もしないと、脳ばかりが発達した頭でっかちな宇宙人になっちゃいますよ?
 いいえ、実は脳ばかり使っていると脳自体も退化して小さくなってしまうんです。
 人間、体を動かして神経を適度に刺激しないと、脳もぼんやりしていってしまうんです。
 ですからいつも室内で作業している人は、たまには外に出て体を動かしてください!
 自然の空気や街のざわめきの中で、五感を使って、心にいろんな刺激を感じましょう!
 滝本さんみたいにたまに肉体労働してみるのもいいことです。
 そこまでしなくても、たまには自宅やオフィスを出て、五感を刺激するカフェや図書館で作業してみましょう。
 近くの公園を散歩して、季節の花の色と香を感じてみるのも素敵ですね。
 ぜひ皆さんも生活の中に、五感を刺激する時間を取り入れてくださいね! 

(つづく)

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連載【超人計画インフィニティ】
毎月金曜日更新

滝本竜彦(たきもと・たつひこ)
1978年北海道出身。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で第五回角川学園小説特別賞を受賞してデビュー。新時代の青春小説として映画化、コミック化される。次作『NHKにようこそ!』もコミック化、アニメ化され世界的なヒット作品となる。他に『超人計画』『僕のエア』『ムーの少年』『ライト・ノベル』等がある。
Twitter: @tatsuhikotkmt

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