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第四話 はたらく滝本 滝本竜彦「超人計画インフィニティ」

老いと死の不安を乗り越えるために「超人計画」が再始動する。滝本竜彦によるハイブリッドノベル!
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illustration 安倍吉俊


  朝、俺は品川で電車からバスに乗り換えると、窓の外を眺めながら考え込んだ。
(俺もずいぶん進歩したものだ。朝の品川駅というビジネスパーソンの地獄を無傷で通り抜けるとは。数年前の俺であれば通過しただけで体力がゼロとなってアパートに引き返していただろう)
 だがそのようなHSP……敏感すぎるハイリーセンシティブパーソンとしての弱点を俺はすでに克服していた。
 満員電車に揉まれたとしても体力ゲージはせいぜい三割ぐらいしか減らない。
(なぜなら今の俺は『チャクラ』が整っているからな……)
 東京湾の倉庫に向かうバス車内で、俺はレイがいたら確実にツッコミを入れられたに違いないモノローグを脳内で呟いた。
(そう……チャクラ……チャクラがすべての生きにくさを解消する)
 チャクラ、それはサンスクリット語で円盤や車輪を意味する言葉だ。その神秘的な響きから多くのマンガ、アニメで超常的なエネルギーの源とされてきた。
 世界的に人気がある忍者バトルアクションマンガの『NARUTO』では、チャクラは忍術のエネルギー源とされている。
 機動戦士ガンダムの富野由悠季監督が鬱からのリハビリとして作ったロボットアニメ『ブレンパワード』においては、人型生体機械のオーガニックマシンが物理的破壊効果を持つチャクラ光なるものを放出して敵と戦う。
 このようにアニメ・マンガにおいてチャクラは戦闘力に直結したものとして描かれてきた。
 だが我々のようにバトルとは無縁の一般市民とて、チャクラのことを無視して生きるわけにはいかない。
 なぜなら現代人の多くを悩ませる生きにくさ、その原因の多くは『チャクラの乱れ』に由来するからである。
 脊柱に沿って七つあると言われているチャクラの中でも特に、脊柱基底、下腹部、へその三つのチャクラは、人間がこの社会で力強く生きていくのに重要である。
 これらの下部チャクラが不安定だと、人は根無し草のように浮ついた存在となり、自らの肉体に安住することが苦痛となり、その上、他者からのネガティブなエネルギーを無防備に受け取るようになる。
 結果としてここから多くの生きづらさが生じる。その生きづらさを解除するには、チャクラをなんとかしなければならない。
 チャクラをなんとかしなければこの先生きのこることは難しいのだ。
 だがここで焦って拙速にチャクラをなんとかしようとすることも身の破滅に繋がる。
 巷には『呼吸法でチャクラを整えよう』などという本が沢山売っているが、呼吸によるチャクラの制御は危険である。
 ここ最近、俺のマイブームになっている王羲之おうぎしも、『呼吸によって気を操作し不老不死に至るべし』という内容の道教の経典『黄庭経こうていけい』を揮毫きごうしている。そして実際、呼吸によって気をコントロールすることは可能に思われる。
 だがそれははっきり言って危険である。呼吸による乱暴な生命エネルギーの操作は、自らを癒すよりも壊す方向に働く可能性が高い。
 なぜなら人間が一台の自作PCだとすると、呼吸法でチャクラを活性化しようとする試みは、『なんとなく電源ユニットの電圧を上げてみた』などという乱暴な行為に相当するからである。
 そんなことをすれば性能アップよりもむしろシステム全体に不可逆的な不具合が生じる可能性の方が高い。
 では結局、チャクラの調整など不可能だというのか?
 生まれ持ってチャクラのバランスが崩れている者は、一生、その生きづらさを抱えて生きていかねばならないのか?
 いいや、そんなこともない。
 チャクラは確かに調整することができ、それによって生きづらさの大部分を解除することは可能だ。
 だがその調整を安全に行うにはまず『超人』になる必要がある。
 一般人ではチャクラを安全に調整することなどできない。だが超人であれば、チャクラをほどよく調整できる。
 それゆえに『生きづらさ』を解除するために必要なのは、まずなにより超人になることなのである。
 超人になってしまえばチャクラの一つや二つ、いかようにでも調整できる。またその結果として、自らの内なるHSPやADHDやASDやHDMIやらの生きにくさを生み出す性質を雲散霧消させることは容易である。
(いつか……この俺の超人的な叡智を生かして……この国での生きづらさを解除できる日がくればいいのだが)
 などと、ひたすらチャクラと気と現代社会について考え込んでいるとバスは東京湾岸の倉庫に到着した。
「よし、行くか……」
 俺は暗い顔をした日雇い労働者たちに交じってバスから降りた。
 ロッカーに貴重品を入れつつ、見知らぬ人間が怖い、初めての仕事が怖くて落ち着かないというHSP性質を軽減させるため、おのが下腹の丹田に力を込める。
 それから軽作業用の手袋を装備すると、俺は金属探知機のゲートをくぐって作業所に向かった。

  金属製のどっしりとしたテーブルを四人の男女が取り囲んでいる。
 テーブルには乱雑に絡まったケーブルや、半壊した機械パーツが段ボールで次々と送り込まれてくる。
 俺は他の作業員と共同で、絡まったケーブルを選り分けて束ね、パーツを分類して小箱に入れるという作業を続けた。
 ふと顔を上げて倉庫内を見回すと、似たような作業をしている班が他に十ほどあり、皆、黙々と作業を続けていた。
 さらに倉庫の他の領域では段ボール相手にカッターナイフを振るう部署や、汚れた液晶ディスプレイを謎の液をふりかけた布で拭きまくる部署などが存在した。
「…………」
 俺が断片的に得た知識によればこの倉庫には、巨大通信企業の全国の支店で故障した備品が送り込まれているようである。
 それら要修理の備品を分類し、掃除し、さらに修理できるものは修理部門に回すという作業をこの倉庫で行っているらしい。
 ただし俺に与えられる情報はどれも断片であり、作業内容も高度に分業化されているため、今、自分が行っている作業、ケーブルを分類して束ねるという行為が全体の中でどのような意味を持っているのかは定かではない。
 ただ漠然と、こんなことをしているのかなというイメージを持ちながら、巨大生命を構成する小さな細胞として他の作業員と共に黙々と作業をこなしていく。それにしても俺の作業スピードは遅い。
 遅い原因はいくつか考えられる。
 一つ目は、このような物理レベルでの労働スキルが低いというものだ。俺は人生でどちらかと言えば精神的な労働を続けてきた。それゆえにこのような物理労働スキルが低いことは責められるものではない。
 二つ目の理由は、見知らぬ人と一つのテーブルで働くのは緊張するということである。いかにチャクラを整えHSP性質を軽減させることに成功したとはいえ、緊張するものは緊張するのだ。
 三つ目の理由は、モチベーションが低いということである。
 思えば俺のバイトへのモチベーションは常に低かった。
 初めてバイトに申し込んだのは大学時代だった。俺は小田急線の生田駅前にあったコンビニに履歴書を持っていった。
『危険な客が来ることもあるけど、君、何か運動はやってたかな?』
 青い制服を着た店長にそう聞かれた俺は、怯えながらも答えた。
『卓球をやっていました』
『はは……卓球は役に立たないかもしれないね。この店、結構忙しくなるけど大丈夫かな?』
『無理かもしれません』俺はコンビニを去った。
 次に俺は駅前の中古ゲーム屋に履歴書を持っていった。採否は後で電話すると言われたのでその日は帰宅した。いつまでも電話はかかってこなかった。
 次に俺は町田の高原書店という古書店に履歴書を持っていった。
 漢字書き取りテストや、『君の好きな本はなにかな?』というハードな面接を乗り越えた俺は、ついに正式なバイトとして高原書店に採用された。
 お客さんもそこで働く人達も俺に優しく接してくれた。レジを担当していた俺の手が緊張で震えているのを見かねたのか、上品な身なりのお客さんが声をかけてくれた。
『君! 辛いこともあるかもだけど頑張ってね』
『ううう』
 俺は頑張ることができなかった。
 高原書店は雰囲気が良く品揃えも良い古書店であり、当時の町田の文化的中心地だった。
 文化の香りに惹かれて多くの読書家が高原書店には集っていた。
 なんと直木賞作家の三浦しをん先生も高原書店でバイトをしていたようである。そのときの経験が三浦先生の傑作小説『まほろ駅前多田便利軒』として結実していると、俺はいつだかネットの記事で読んだ。
 三浦先生とは後日、ボイルドエッグズ新人賞の選考委員として何度かお会いすることになるのだが、まさか作家になる前にバイト先でもニアミスしていたとは。
 しかし俺の高原書店でのバイトは一ヶ月で終わった。HSP性質が限界に達した俺は、三浦先生とお会いすることもできぬままバイトをやめ、外で働く恐怖を募らせながらアパートで小説を書いた。
 それから十数年の時が流れ、小説で稼いだマネーはすべて消え、今また俺は外で働く必要に迫られている。だというのに俺の物理労働力は十代の頃よりもさらに低下している。
「ダメだダメだダメだダメだ……」
 倉庫で過去を想起しながら手を動かしていると、ケーブルがどんどん絡まっていった。
 落ち着こうとして深呼吸するも、貯金がゼロどころかマイナスであることの恐怖がリアルに迫ってきた。
 超人になるための修行期間、俺は労働せず瞑想ばかりしていた。
 金など小さな問題に過ぎない。
 まず超人になりさえすれば、現実を自分の都合のいいように創造する力が得られる。
 そう思った俺は修行を続け、確かにスムーズに超人になることができた。
 金の問題も超人の力によってなんとか乗り越えつつある。
 だがその実態は、空中から金が無限に湧き上がってくるという俺の思い描いていたものとまるで違った。
 超人の力によりHSPを治し、それによってバイトして日銭を稼ぐという、思ったよりも地味な方法によって、今、俺は金の問題を乗り越えようとしていた。
 しかも実のところぜんぜん乗り越えられていなかった。
 倉庫内でわたわたと手を焦って動かすも余計に謎のケーブルは絡まっていく。
 俺の呼吸は浅くなり超人の力によって抑えていた俺の呪い……HSP性質が今、その恐るべき闇の顎を全開にして俺を飲み込もうとしている。
「ううう……」
 同じテーブルで作業している作業員の俺への怒りと苛立ちが感じられる。理論的にはこれは俺の怒りと苛立ちが外界に投影され自らに跳ね返ってきたものに過ぎない。だが感覚的には明らかに他者が俺に対して怒りと苛立ちを向けているように感じられる。
 そのネガティブエネルギーに萎縮した俺はさらに焦って手を動かすも、それによってより一層、謎のケーブルは手元でほどきようもなく絡まっていく。
「ちょっと、あの……」
「ううう……ん?」
「このケーブルは、まずアダプタから取り外してからバンドでまとめた方がいいですよ」
 顔を上げると同じテーブルの作業員が俺にコツを示してくれていた。
「ああ。このケーブルを……」
「まずは抜いて……そしてバンドでまとめる。そうそう」
 彼女の指導によりなんとか俺は完全なパニックに陥ることなく、午前の仕事をこなすことに成功した。
 それでもほぼ精根尽き果ててヘロヘロになった俺は、半ば意識を失いながら食堂に向かった。
 自宅の貯金箱には虎の子の五百円玉一枚が残されているだけであり、財布には帰りの電車賃しか入っていない。だが水を飲んで一休みすることはできる。
 俺はウォーターサーバーの水を紙コップ一杯に取ると、空いた席で一気にあおってため息をついた。
「はあ……」
 そのとき視線を感じた。
 顔を上げると斜向はすむかいの席に、同じ班で仕事していた作業員が座っていた。
 さきほど俺にケーブルさばきのコツを教えてくれた女性である。
 ジャージを着て髪を無造作にポニーテールにまとめている。年は二十代前半ぐらいだろうか。
 俺が軽く会釈すると彼女は話しかけてきた。
「ここは初めてですか?」
「あ、ああ……さっきは君のおかげで助かった」
「初めてだと難しいですよね。だいたいの仕事は」
「そう! そうなんだよ。この前の倉庫でも俺の教育係のおばさんにものすごい嫌味を言われて心が折れて、むかつくから黙って家に帰ってやった」
「帰るときはちゃんと派遣会社に連絡してからの方がいいですよ」
「そ、それは確かに……次からはそうする」
「あまりこういう仕事に慣れてなさそうですね」
「まあな。普段は別の仕事してるからな」
「えっ? 何してるんですか?」
 彼女は興味深げに身を乗り出してきた。
 俺は自らの仕事を堂々と口にした。
「ミュージシャンだ。俺はミュージシャンなんだよ」

 

 『またまたぁ』という反応を心のどこかで期待していたが、女性はまっすぐな視線で俺を見つめてきた。
「す、凄い! ミュージシャン! じゃあこの仕事は……」
「副業ってやつだな」
「いいですね。クリエイティブな本業があっての肉体労働。バランスが取れてます」
「ああ。たまにはこうやって体を動かして働くのも悪くない。金がないときには特にな」
「ミュージシャンはやっぱりお金がなくなったりするんですね」
「そうだな……俺は金にはそんなに興味を持ってこなかったからな。潮の満ち引きのように金がなくなるときもある」
「へえー。すごいですね! やっぱり超然としてるんですね」
「自分のライフワーク、今、自分がこの世に生きている意味。そういったものを掴んでいれば、金なんていうバーチャルな指標に一喜一憂することもないとわかるさ」
「そんなもんなんですか」
 ここで女性は初めて疑わしげな目を俺に向けてきた。俺は慌てて補足した。
「むろん……金という幻想は強力だ。この俺とて金が五百円しかないときはパニックになるし、この世に生きる多くの者が金の心配で命をすり減らしている現状は理解している」
「私もすり減らしてますよ! お金! どうしたらいいですかね」
 ここで俺は一つ、倉庫の食堂という落ち着かないロケーションではあったが、この女に金と人生についての叡智をレクチャーしてやる態勢に入った。
 実のところ修行を終えて超人と化した俺の周りには、このように導きを求める人々が集いがちである。
 超人の精神は全宇宙と同期されているがため、シンクロニシティによって、有用なコミュニケーションが自然と用意されるものなのである。
 この女性とは初めて会ったばかりというのに、かなりビットレートの高い情報のやり取りができている。それはこの会話がシンクロニシティによって宇宙にお膳立てされたものであることの証左だ。
「…………」
 俺はしばし目を閉じて心の中の銀河コアとその奥にある絶対無に意識をチューニングすると、そこから無限の叡智を引き出し始めた。
「君はまだ若くてわからないかもしれないが……金……それはただの数字に過ぎない」
「じゃあ別にお金なんて稼がなくていいってことですか?」
「いいや……金はただの数字だが、それは豊かさの象徴でもある。人は豊かになるべきだ」
「だからどうやったら豊かになれるんですか!」
「豊かさ、それは誰から与えられるものでもない。豊かさ、それは本を正せばすべて君の心の中から生じているんだよ。だから君の心を今の二倍、豊かな心にすれば、君は二倍の金を受け取れるようになるんだ」
「どうやれば豊かな心になれるんですか?」
「いろいろな方法はあるが、決定的なのはなんと言っても『超人』になることだ。超人とは物事の道理、社会的な常識、運命によるリミットを超えて、自らの心を自在にアップデートできる者のことだ。超人であれば、自らの意思によって心を豊かにすることなど容易い」
「じゃあ教えて下さい、超人になる方法を」
「わかった。今から真面目に話すから聞いてくれ。まずは自らの人間としての生を全うすることだ。人生の重荷を担いで、やるべきと感じたことを限界までやるんだ」
「それは……辛そうですね」
「辛いぞ。だがそれがいいんだ。この段階は砂漠を歩く駱駝らくだに喩えられる。駱駝は重い荷物を背負って幻想のオアシスを目指して歩く。この段階を踏むことによって人の自我は鍛えられ、限界まで強くなる」
「なるほど。たくさんの重荷を背負って自らを鍛えて超人になればいいんですね」
「いいや。超人になるには駱駝の次の段階に進まなくてはならない。あるとき駱駝は気づく。これ以上、先に進むには重荷をすべて手放さなければならない、と。そう気づいた駱駝は担いできた荷物を一つ一つ捨て、それを噛み砕く獅子となるのだ。人はあるとき、学んだものをすべて手放さなければならないのだ」
「獅子! 強そうですね。それが超人ですか?」
「いいや。人は古い荷物をすべて手放したとき、広大なる砂漠の中で方向感覚を失う。自分が向かうべきオアシスの幻想すら手放した獅子は、幼子とならなければならない。幼子は虚無の砂漠の中で自ら自由に遊び始める。その幼子の周りに今、本物のオアシスが生まれ始める。そこは甘い水が流れ、涼しい風が吹く豊かな土地だ。人々はそこに集まって火をおこし新たな文明を築くだろう」
「幼子。かわいいですね! それが超人ですか?」
「いいや。実のところこの超人ロードとそこでの全事象は同時的に発生している。駱駝、獅子、幼子という人間の三つの相は、時間の中の幻に過ぎない。実は超人は今ここにいて、今君の中にある。これぞ始まりと終わりは一つだということである」
「よくわかりません。具体的に、私は何をすればいいんですか?」
「簡単だ。君の意思が全てを決める。今、『超人になろう』と心から望み、それを意思することだ。君が望めば君の中の超人因子は目覚めるだろう。あとは君の内なる超人が君を導いていく。その声に虚心に耳を傾けるんだ。自分の自我ではなく、内なる超人の今はまだ小さくささやかな声に耳を傾け、それに忠実に行動し続けるんだ」
「や、やってみますっ!」
 がたんと椅子を引く音が聞こえて気を取られかけたが、こんなにも長く生身の人間と会話するのは久しぶりである。
 もっと楽しいトークを続けたい。目を開けてしまうとつい相手が異性だと思って自意識過剰になってしまうから、俺は瞑目したまま、さらに言いたいことを言い続けた。
「ところでだ。超人の話はもういいとして……さっきも言ったが、俺は実はミュージシャンなんだ。しかも普通のチャラチャラしたミュージシャンじゃない。人類愛に目覚めたミュージシャンなんだ。キース・エマーソンの幻魔大戦の主題歌みたいなやつを作りたいんだ。音楽には人の心を高める作用があるんだ。その力を使って俺は、聴いた人の寿命が延びる音楽を作りたいんだ。無理だと思うかい? でも想像してごらん。誰もが寿命千年になった世界を。いずれ俺の音楽が世界を変え……あれ?」
 目を開けるとすでに昼休みは終わり、食堂には誰も残っていなかった。
「…………」
 俺は狐につままれたような気分で食堂を出ると、倉庫の作業所に戻った。
 俺の班のテーブルではすでに作業員たちがケーブルほどきを再開していた。
「す、すみません。遅れました」
 俺は頭を下げてテーブルに着くと、先ほどまで食堂で会話していた女性の姿を捜した。
 いない。
「あの……午前までそこにいた人は……」
 俺は班の最年長の男に聞いた。彼は言った。
「青山さんね。いきなり急用があるって言って走って早退していったよ」
「そ、そうですか……」
 俺は顔を伏せてケーブルほどきの作業を続けながら、恐るべき真実に気づいた。
 青山はもしや俺と一緒のテーブルで午後の作業をしたくなかったがために走って早退していったのではないか……。
 その考えは真実と思われた。
 なぜなら俺は青山との会話の中で三つの大罪を犯していたからである。
 大罪その一は『マンスプレイニング』だ。これは男が女性を意識的、あるいは無意識的に見下しながら、自分が知っている知識について無駄に長い説明をすることである。
 俺は『金を稼ぐ方法』と『超人になる方法』について、べらべらと調子よく上から目線で長い説明をしてしまった。これぞ典型的なマンスプレイニングである。
 第二の大罪は『年齢マウント』である。俺は彼女より自分が年上であることを利用し、彼女が聞きたくもないトークを長々と話してしまった。
『へえー。すごいですね!』という彼女の合いの手は、若者が年上の者に見せる条件反射的な枕詞に過ぎない。それを真に受けて俺は若者相手に持論をべらべらと喋りまくってしまった。
 第三の大罪は『超人ハラスメント』である。超人である俺は実のところ、人類の九割九分よりも高い意識を持っている。それを鼻に掛けて俺は彼女の精神性を高めてやろうなどというおこがましい気持ちで彼女に接してしまった。
「最悪だ……もうダメだ……終わった……」
 俺は罪悪感に押しつぶされながら、ケーブルをほどいてまとめる作業を続けた。しかしケーブルはほどこうとするほどに絡まるばかりである。
 だんだん気持ち悪くなって目の前が暗くなってきた。
「す、すみません、早退します」
 俺は同じ班の作業員に頭を下げて倉庫を出て、バスに乗って品川から川崎を経てアパートに帰った。
 今日の仕事は失敗だ。
 日払いの賃金も得ることができなかった。
 だが俺にはまだ五百円がある。
 アパートに残した五百円で飯を食おう。
 そう考えながらふらつく足取りでアパートのドアを開けるとレイが俺を待っていた。
「おかえりなさい、滝本さん! パーティしましょ!」
「……パーティ?」
「詳しくはこれを読んでほしいんだけど」
 レイはノートパソコンを俺に手渡してきた。それから大量の駄菓子が並べられた折り畳みテーブルを指差した。
「それよりもまずは一緒に食べましょ。滝本さんの五百円でいいお菓子を沢山買っておいたから。さあ楽しいパーティの始まりよ!」
「…………」
 俺はベッドに倒れ込みながら、ノートパソコンの文章に目を通した。

  レイちゃんの知恵袋 その4
『たまには贅沢してみる』

  みなさんこんにちは! 元気ですか!
 元気な人も元気じゃない人も、一緒に盛り上がっていきましょう。人生はお祭りですよ!
 はっ。失礼しました。
 最近、私はちょっと内職をしてまして、そっちの方がけっこう軌道に乗ってきて、テンションが上ってるんですよね。どんな内職かと言うとWebライターという最先端の仕事です。
 さまざまな食品や薬品の効能についてWikipediaを見ながら記事を作り、一文字あたり0.3円で納品する仕事です。
 自分の口座に少しずつお金が貯まっていくのを見るのは嬉しいものですね!
 でも今日の知恵袋ではWebライターの心得を書きたいわけではないのです。
 私が書きたいのは、お金を節約しすぎるのもよくない、ということです。
 最近、滝本さんは消費活動を抑えています。どのくらい抑えているかというと、読みたいマンガも買わず、マンガアプリのボーナスを貯めてちびちびと一日一話ずつ読むくらいに抑えています。
 コンビニでも百円以上のお菓子を買わず、『甘さと値段の比ではこのモナカが最高コスパなんだ』などといいながら、数十円のモナカをいつも買っています。
『滝本さん、お腹が空いたからピザでも取らない?』
 そう私が聞いても滝本さんはスマホで銀行口座を見て顔を青くするばかりです。
 もしかしたら滝本さんの口座、かなりお金が減ってるのかもしれません。
 だからって、いい年をした社会人が、まさかピザ一枚買えないってことはないでしょう。
 近頃はもともと少ない本を売り払って、テレビとプレステも売り払って、部屋がガランと殺風景になっています。
 こんな部屋でピザも食べず、パサパサした鶏むね肉やら玄米やらを食べている滝本さんを見ていると気が滅入ってきます。
 節約ばかりしていると心が貧乏になってしまいますよ!
 病は気からと申しまして、貧乏も心からなんですよ!
 たとえお金がなくても心まで貧乏になるな!
 滝本さんにはそう言いたいです。
 そこでここは一つ、私が一肌脱いで、生活の豊かさというものを滝本さんに感じさせてあげます。
 そのために今日はパーティを開きます。
 ちょうど滝本さんの貯金箱に五百円が入っていたので、まずはこれを持ってコンビニに行きます。
 そしてお菓子コーナーをじっくりと眺めてみましょう。
 チロルチョコ、カルパス、ブラックサンダー、うまい棒、五百円あればいろんなお菓子を買って贅沢できるんです!
 一応、滝本さんの好きなモナカも買っておきましょう。
「四百九十六円になります」
「現金でお願いします!」
 ふふ、美味しそうなお菓子を沢山買えました。
 これをテーブルに並べて、滝本さんが帰ってくるのを待ちます。
 仕事で疲れた滝本さんも、このお菓子を見れば元気になることでしょう。
 たくさんのお金がなくても、こうやってちょっと気を配ってお菓子を買えば、すぐに贅沢な気持ちを味わえるんです。
 あ、滝本さんの足音が聞こえてきたので、今回の知恵袋はここで終わります。
 ぜひ皆さんも、ご自分の経済状況に応じたレベルで、ちょっと贅沢してみてください。
 豊かな気持ちで生きていきましょう!

 

(つづく)

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連載【超人計画インフィニティ】
毎月金曜日更新

滝本竜彦(たきもと・たつひこ)
1978年北海道出身。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で第五回角川学園小説特別賞を受賞してデビュー。新時代の青春小説として映画化、コミック化される。次作『NHKにようこそ!』もコミック化、アニメ化され世界的なヒット作品となる。他に『超人計画』『僕のエア』『ムーの少年』『ライト・ノベル』等がある。
Twitter: @tatsuhikotkmt

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